新潟動物ネットワーク No.127 |
|||||
|
|||||
ボランティア三箇条 |
|||||
10年前にNDNから三毛猫を譲り受けた縁で、この度NDNのスタッフとして参加させてもらうことになりました。3月までは県外に住んでいてそちらでも少しだけ猫のボランティア活動をしていましたので、今日はその時のことについて書こうと思います。 以前住んでいた地域にはNDNのように知名度のある動物愛護団体はありませんでしたので、私はまず最初に動物愛護に関する情報を発信しているサイトを見つけ、運営している方に連絡を取りました。何かできることはないかと相談したところ、保健所から引き出した子猫の里親探しをしているグループを紹介してくれて、生後1、2週間ほどの3匹の子猫を預かることになりました。乳児期の子猫は数時間おきの授乳が必要なので、当時学生だった私は、昼間は子猫を大学に連れて行き研究室でめんどうをみました。借家住まいで飼い猫2匹との生活でしたので、預かりは3匹で手一杯というところでした。 ところが、初夏という季節柄もあり、「あと2匹預かれないか?」などの連絡が頻繁にきました。また、面識のないボランティアさんからなぜか電話がかかってきて、「地域猫のエサやりの助っ人に行ってほしい」と頼まれたこともありました。この地域のボランティアはいつも人手が足りない状態でした。 一方で、我が家では飼い猫たちの反乱が起こりました。部屋を分けても臭いや鳴き声などの見知らぬ子猫の気配は隠しきれません。また大きくなるにつれて活動的になる子猫たちを隔離すること自体が難しくなりました。強いストレスで飼い猫は2匹とも性格が変わり、昼夜問わず大騒ぎをしたり、網戸を壊して脱走するようなこともしばしば。気が立った飼い猫は、子猫だけでなく人間に攻撃することも頻繁になり、ついに私自身が飼い猫に噛まれてケガをしてしまいました。飼い猫が怖くて自宅なのに夜安心して眠れないという状況でした。 このことがきっかけとなり、私は子猫預かりをギブアップしました。この時、うちには最初に預かった子猫3匹のうち1匹と、預かって1週間になる2期生の子猫3匹がいましたが、比較的うちに慣れていた1期生の1匹は自分で引き取ることにして、2期生は他のボランティアさんにお願いすることになりました。 この時の経験から、私は3つのことを頭に置いて活動をすることにしました。 一つ目は、うちの子が一番大事ということ。自分の飼い猫が不幸になるのでは本末転倒。ストレスをかけたり、病気を持ち帰るようなことがあってはいけない。 二つ目は、『自分に出来ること』を、『自分のやりたい分だけ』やるということ。出来ることしかできないのは当然ですが、出来るからと言ってなんでもかんでもやっては、長くは持たない。辛くならない程度にセーブしてやることも大事。それでもきっと、できることはある。 三つ目は、知ってもらうこと。ボランティアは常に人手が足りません。少ない人数ではひとりひとりに仕事が集中するため、新しく入った人も大変さのあまりすぐにやめてしまう。こんな悪循環があるように思いました。解決するためには、『仲間を増やす』、『仕事を減らす』のどちらかしかありません。どちらにしても、知ってもらうことが大事。 それ以降は、チャリティーカレンダー製作に協力して地域猫の写真撮影をしたり、不妊手術する猫を病院へ送迎したりと、自宅外でできる活動を中心にやってきました。また、多頭飼育状態の飼い主さんとたまたま知り合うこととなったので、その現場でのTNR(=Trap, Neuter, Return:猫を捕獲し、不妊化手術をして、元の場所に戻すこと。一世代限りの命として見守り、不幸な命が産まれることを抑制する地域猫活動のひとつ。)にも関わらせてもらいました。 新潟に引っ越すまでの約3年間という短い期間でしたが、図らずも多岐にわたる活動を少しずつ経験することとができました。しかし、いろいろなことを知るにつれて日本の動物福祉がまだまだ不十分であるということも強く実感しました。人と動物が穏やかに共存できるように、これからも自分なりに出来ることを探していこうと思います。
|
|||||
新潟動物ネットワーク/猫班 遠藤真太郎 平成26年8月1日掲載 |
|||||
|
|||||
|