新潟動物ネットワーク No.95 |
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NDNの活動を振り返って |
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あれは確か2002年頃です。新聞を見ていてふと目に留まった記事、そこには新潟市で動物愛護団体を立ち上げた女性のインタビューが載っていました。私が何より真っ先に親近感を感じたのは、その女性が私の愛犬と同じミニチュアダックスフンド数匹と写っていた事です。その女性こそ、新潟動物ネットワーク(NDN)の岡田朋子代表でした。 勝手に親近感を感じた私は、何かお手伝いできることはないかと古毛布の寄付で岡田宅に伺い、それが活動の始まりとなりました。 スタッフとして活動するようになり、最初は犬班、その後は総務チーフとして活動させてもらいました。今思い返すと本当に色んな事をしてきました。 犬班では仕事の関係で昼間動けないため譲渡に直接関わる活動はできず、譲渡会での手伝いやメーリングリスト管理が主な仕事でした。 ・・が初期のNDNはマンパワー不足もあり、気づけば毎月スーパーなどに掲示する里親募集チラシの作成をしたり、会報の印刷(今は印刷所に依頼しますが、当時は全て手作業でした)をしたり、また住宅街を何十件も回り緊急里親募集犬猫チラシのポスティングなどもしていたのでした。その後一時期犬の保護をした事もありますが、飛びかかってきた保護犬に歯を折られたり、今となっては笑い話として言えますが、本当に色んな事があったなーと思います。 中でも思い出深い出来事として、NDNが関わった多頭飼育崩壊現場があります。この現場に初めてNDNが入って犬をレスキューした時、その想像を絶する悲惨さに度肝を抜かれてしまいました。 (初期の悲惨さはこちらをご覧ください→http://www.h6.dion.ne.jp/~ndn/tatougenba.htm ) 中でも頭をやっと出せる位の隙間以外は全く光の当たらない木箱に閉じ込められたまま、数十センチ以上堆積した糞尿の上に暮らしてきた4匹の中型犬を箱から出した時、飼い主への強い憤りと同時に、よくぞこの環境で今までこの子たちは生きてきたものだ、と4匹の生命力にも驚きを覚えたのでした。現場には後半あまり参加できなかったのですが、全頭譲渡されたのが何よりの救いです。 飼い主は現場を離れていきましたが、生きている限り同じ事を繰り返す可能性があります。それも全国各地にこのようなアニマルホーダーと言われる動物コレクターの人たちがいるのです。NDNの場合は運よく全頭譲渡にこぎつけましたが、それまで何年もの紆余曲折や、言葉では言い表せない程のスタッフの苦労の積み重ねがあったのです。一日も早くこのような悲劇が繰り返されないよう、法制度が整う事を願います。 また犬班での譲渡に関わる話を聞くと不思議だなと思う事が度々あります。飼い主の都合で保健所に連れてこられた犬が数日後に(精神的ダメージで)亡くなってしまう、譲渡先で何人もの里親希望者さんと合わず出戻り連続の犬が、ある里親さんのお宅に行ったら前から住んでいたようにすっと馴染んでスタッフも驚いた、などなど.. このような話を聞くと、犬にもちゃんと感情がある事がよくわかります。時には飼い主や自分の住みかを自分で選んでいるのでは?と思う事もあります。 犬も猫も話す事はできませんが、人間の感情はちゃんと理解しており、特に飼い主の性格の影響や時には病状なども同じものになるとの説もあります(例えばくよくよしやすいマイナス志向の飼い主さんの犬はいつまでも病気が治らないなど)。 そんな動物達を、私たち人間はどうしても人間以下の存在として扱いますが、私は人間こそが自然や動物に生かされていると思うのです。 NDNの総務では日々の活動で見えない名簿管理や内部の諸連絡などこまごました事を主にやってきましたが、普段の活動では表に出ない、まさに縁の下の力持ちの仕事をしてNDNを支えてくれているスタッフが沢山います。 長年活動してきて、NDNの良いところは「一人ひとりができる事を少しづつ」というスタンスだと思います。このお陰で私自身大した事はできないのですが、スタッフを続けてこられたのだと思います。長年NDNを見てきて、一人のできる事は限られているけれど、それが集まったらすごいパワーになるのだなーとつくづく思います。 悲しい事に今の世の中で動物は人間のエゴに振り回され、モノとして売られたり勝手な都合で処分されたりしています。そんな動物が少しでも早くいなくなるためにNDNは日々活動しています。私は残念ながら年内でNDNを去りますが、これからも不幸な動物がいなくなるよう、引き続きNDNをご支援下さいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。 |
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新潟動物ネットワーク 犬班・総務 伊藤実保子 |
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平成23年12月1日掲載 | ||
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