長尾 半平 |
生 |
1855 |
慶応元年 |
村上 |
東京帝国大学 |
後藤新平の引立てにより、台湾総督府、鉄道院、東京市の技師を歴任(三田二平) |
夏目漱石、新渡戸稲造、北大路魯山人とも親交があった人で、熱心なクリスチャンでもあった。 |
没 |
1936 |
昭和11年 |
本町 |
内務省 |
土木技師 |
享年 |
82歳 |
掘片 |
鉄道院 |
鉄道管理局長 |
若林 賚蔵 |
生 |
1855 |
慶応元年 |
村上 |
東京帝国大学 |
警視庁を振出しに内務省畑に進み、島根・奈良・山梨・佐賀・香川・愛媛・広島県知事、京都府知事を歴任。 |
頑固一徹、典型的な官僚といわれ、退官後、貴族議員となる。また儒教の若林、仏教の三好、キリスト教の長尾といわれた。 |
没 |
1940 |
昭和15年 |
本町 |
内務省 |
警視庁 |
享年 |
86歳 |
三之町 |
官選知事 |
川上 俊彦 |
生 |
1861 |
文久元年 |
村上 |
東京外国語学校 |
日露関係を専門して、日露戦争では、日露戦争と旅順陥落後の出師営にて通訳を務める |
当時の日露関係でもっとも重要な外交官といわれている。また日露漁業の初代社長としても知られている。 |
没 |
1935 |
昭和10年 |
本町 |
外務省 |
領事・公使 |
享年 |
75歳 |
飯野 |
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三好 愛吉 |
生 |
1870 |
明治3年 |
村上 |
東京帝国大学 |
哲学特に仏教を専門とした。旧北蒲原郡尋常中学校、旧村上中学校、長野中学校長、第二高等学校長を歴任。 |
人柄や教職者としての教育方針が認められ、大正4年(1915年)、秩父・高松宮の教育にあたる皇子傅育官に命じられる。 |
没 |
1919 |
大正8年 |
本町 |
仏教大学 |
教授 |
享年 |
50歳 |
新町 |
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旧制中学校校長 |
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第二高校学校長 |
稲垣 吉蔵 |
生 |
1875 |
明治9年 |
村上町 |
東京美術学校 |
ロダンに古い美術品の修理の技術を認められ、次第に信用を得るようになった。 |
ロダンから吉蔵への書簡から、実質的なロダンの助手のような立場であったと思われる。また仏に堆朱を普及させた。 |
没 |
1951 |
昭和26年 |
安良町 |
彫刻専攻 |
渡仏・永眠 |
享年 |
77歳 |
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大和田 愛羅 |
生 |
1886 |
明治19年 |
東京都 |
東京音楽学校 |
唱歌「汽車」の作曲者。
日本における西洋音楽の黎明期に、その音楽と合唱の普及に努めた。村上市塩町「安泰寺」に眠る。 |
音楽学校同窓生などによって「音楽普及会」を設立して普及活動を行うとともに、多くの音楽教師を養成した。 |
没 |
1962 |
昭和37年 |
声楽専攻 |
東京府師範学校 |
享年 |
77歳 |
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第二高等女学校 |
鶴見 正夫 |
生 |
1926 |
大正15年 |
村上 |
早稲田大学 |
昭和26年毎日新聞社主催「新しい童謡コンクール」で「ちゃっぷりこ」が一位入選。中山晋平作曲でレコード化された。 |
「あめふりくまのこ」「白い花」等作詞。著書「なきむしこんたろう」「最後のサムライ」「鮭のくる川」「駅長とうさん」「かくされたオランダ人」等。 |
没 |
1995 |
平成7年 |
杉原 |
政治経済学部 |
早稲田童謡研究会 |
享年 |
69歳 |
サトウハチロウ賞受賞 |
資料提供:村上市郷土資料館 |