新潟動物ネットワーク No.249 |
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愛するってなんだろう? |
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愛猫が「うぉあ~」と何か話しかけてきた。 この声は「おもちゃで遊んで!」の声だ。 愛兎が走ってきて私の足首をぐい、と鼻で押した。「撫でて」と主張している。 …なんて愛おしいんだろう!仕事も家事も放っておいて、 ずっとこの子たちとイチャイチャして過ごしたい。 大好き、宇宙でいちばん愛してる、言葉で表現できないくらい幸せ。 君もそうだといいな。 毛深い家族への愛が溢れる度に「分かったつもりになっていないかな」と 自分に問いかけている。 目の前のこの子のこと、本当にちゃんと見てる? 自分にとって都合が良いからそう思いたいんじゃない? |
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言葉を話す人間との付き合いでさえ、相手をすっかり理解するなんてことはできない。 ましてや言葉を話さないいきもの相手に「この子のことは何でもわかる」なんてありえないと思う。 私が感じる「幸せ」の為にこの子が犠牲にしているものはないだろうか? 心と体、両方をちゃんと大切にできているだろうか? この子の種としての本能や習性を満たせる環境を整えられているだろうか? 「種」としてだけでなく、「個」としてのこの子に大切なことって何だろうか? 自分が持っているいきものの知識って本当だろうか? …頭の片隅にあることを改めてまじまじと見つめなおす。 |
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いきものを「飼う」というのは人間のエゴだ。 でも、エゴと「愛する」ことは両立できないものではないと思う。 自分の行動が及ぼすこの子の生命と心への影響を自覚すること。 常に目の前のこの子を見つめ、知り、感じ、受け取って、考えること。 一方的な決めつけに落ち着かず、実際の姿を確かめること。 その存在に敬意を払うこと。 自分の想いが一方的なものではないか常に意識すること。 これらが「愛する」の第一歩だと私は思う。 正解なんてないし、一度出た答えがそのままずっとあるわけでもない。 自分とは別の心を持つ存在と暮らすのだから、分からない事だらけだと思う(分かった気になるのは傲慢だとも思う)。 だからこそ、見つめ続け、知り続けることが大切なのではないだろうか。 …待っていた愛猫とじゃらしで一緒に遊んだ。愛兎を沢山モチモチした。 なんとまあ、いいお顔をしてくれるんだろう!目がキラキラしていて眩しい! 君が嬉しそうで私も嬉しいなあ。伝えてくれてありがとうね。 高級フードも広々とした豪邸も用意はできないけれど。 愛しているから、幸せを感じてほしいから。 私は知り、受け取り、考え、行動し続けたい。 |
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新潟動物ネットワーク 真柄莉乃 令和6年10月1日 |
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