http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2011年12月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.126


幼少時の思い出
高波羅 照見
(たかはら てるみ)
「鮭漁歌」作詞者
神奈川県湯河原町在住
村上五郎さんの叔父







筆 者



鮭っ子物語No.124
「村上五郎」リンク





昭和十九年三月九日、東京大空襲に伴い疎開を余儀なくさせられて、旧岩船郡朝日村に来ました。当時私は十才小学校四年生でした。最初に目にした物は水がきれいな事、小さな小川で食器を洗っていた事、トイレは大きな樽を土に埋め込み板を二枚渡しただけ、子供が三人位並んで用が足せる程、最初は恐ろしかったけれど普通に慣れてきた。又友達の初めて聞く方言にすごく興味を持って習ったものでした。たとえばカイドと言う屋号の家の便所が火事になった時だった。方言によるとカイドノヘンチェンクワンズダ(カイドの便所火事です)。とてもおもしろく腹をかかえて笑った。其の他、杉の木の天ぺんにカラスが巣を作った時だった。シギノキノシテペンにカラシシクッタ(杉の木のてっぺんにカラスが巣を作った)。今はテレビ等の影響があって言葉がきれいに成って居ますがとにかく興味のあるものばかりでした。野に山に自然がいっぱいであった事は事実です。ある時友達が私に尋ねた事、おい板垣(本名)東京て村はどんなに大きい村なんだ、自分は何と返事をしてよいか戸惑いました。それに着物は袴姿、自分も興味を持ち着物姿にあこがれたものでした。もう五十年程前の話であるが現在の世の中にとても信じられない事ばかりでした。
私の住んでいた所にバスの始発所があり、木炭で走るバスであった。その為出発前にフイゴのような物で火をおこす、それを手動でまわす、学校へ行く前に近所の子供達が並んで火をおこす手伝いをした。やがてエンジンがかかり、手伝った子供達を学校迄乗せてくれたのでした。途中坂にさしかかると皆バスからおりて後押しをする、のんきなものでした。学校へ行っても今日は、イナゴ取り、落穂拾い、又アケビのツル取り、藤のツル取り等、当時は学校で使う運動用具等を買う資金にした。皆さんはこのような事を記憶にある方もいらっしゃる事でしょう。ご存知のない方もいらっしゃると思います。今考えるば幼稚で信じられないと思いますが、本当に行われて居りました。知って居られる方はなつかしい事とお思いでしょう。
てつかずの自然そのものがあった。一番印象に残る事は、蛍の多かった事、田んぼ上を何百と蛍が飛んでいた事。子供達は蛍取りで夢中だった事、子供も多く今は時々帰りますが、あまり子供の姿が見当たりません。どこでも少子化が進んでいる現在、よかった昔をもう一度取戻したいものです。現在私はその意味で少しでもふるさとの良さと同時に村上は昔から鮭の町でもある事を知ってもらいたく、「村上鮭漁」の歌を書いてみました。昔は鮭を獲る舟が舟辺をたたいて上がり下がりして鮭を追い勇壮だったのを覚えて居ります。歌の原点は民謡が元祖、田植え唄に始まって、木梚り歌、すべて作業唄から始まり、現在の歌謡曲に成ったのです。
鮭を愛する皆様、もっともっと盛り上げ良きふるさとの発展につながるよう祈ります。


リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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