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   吉川真嗣・美貴の二人旅  No.2
                    
                      出 雲 崎
                                    
新潟県三島郡出雲崎町
 

 佛教関係に造詣の深かった父をもった私は、「出雲崎」と聞けば「良寛さまのお里」というステレオタイプのイメージしかなかった。そして私の知る限り、知り合いで出雲崎を訪ねると言えば、皆、良寛剃髪の寺「光照寺(こうしょうじ)」へ行く為という人だったように思う。
 ところが聞けばなんと、出雲崎には日本最長の3.6km以上にもわたる、妻入り民家郡の町並みが残っているという。何でも「日本一」というフレーズに弱い私は、すぐさま出雲崎に向かった。

妻入りの家並み

 海岸に沿って車を走らせ、良寛さま生誕地橘屋跡近くの所から、一筋山寄りに入り、妻入りの民家郡を目指すことにする。出雲崎はもともと海に関係する人たちが集まって出来た町だそうだが、海岸に沿って山がすぐ迫り、想像以上に細く長い土地に、この妻入りの民家郡が顔を出し始める。ここでは人々が本当に昔のままの生活を、自分たちのペースでおくっているのだろう。お向かい同志の家の人が出てきて、自分の家の前に椅子を出し、道をはさんで談笑している。もうどれほど長い間、こんな風景を見なかったことであろう。そしてここ出雲崎にはまだこんなのんびりとした、人間関係が生きている。たったそれだけのことに(たったそれだけのことではないのだが)、妙に感動する。
 そして歩けど歩くほど続く妻入りにも、驚く。これは新潟県の顔づくり事業のモデル地区にも指定されているのだそう。屋根の高さ、角度がほぼそろっていて、風雪に耐えた下見戸がこの町の歴史を感じさせる。かつて江戸時代には、幕府の天領でもあり、佐渡の金の積み上げ港として栄えた宿場町でもあったという。さぞかし賑わい、繁栄を極めたことであろう。そして時代が変わり、この民家郡が残った。ある通りすがりの老人にこの民家郡のことを尋ねると、この昔のままの町並みを守るのに大変な努力と住民運動があったのだという。東京大学の稲垣博士が来町され、こんな形態で残っている町は日本で他にどこにもない、と言われたことが保存運動へと大きく展開していったのだそう。そこに住む人たちのためにも、そしてまた出雲崎を訪ねる人たちのためのも、この町並みをぜひ守り通してほしい。
 

 
 もうひとつ面白いことを聞いた。この出雲崎はみんなとても人が良くて、学生さんたちがしばらく調査のためなどで個人の家に滞在していたりすると、朝早く誰ともなしに、野菜やお米が玄関先にそっと届いたりするそう。。そして「ここでは一円もなくても半年くらいは生活できますよ。誰か彼かが面倒みてくれるそうな所ですから。」と。これにはさすがに驚いた。お互いに支えあって生きている、という概念が本物に生きている町なのだ。


妻入りで妻を撮

 帰り際、山手に上がって、高台のようになった所から、出雲崎を一望する。上から見ると家並みが端正に整っており、美しい弧を描いてのびやかに広がる海との調和がまたすばらしい。最後は町のはずれの「首切り場跡」を訪れ、たくさん祀られたお地蔵さまに手を合わせながら、数々のドラマが生まれ、消えていった、その長い時の人の営みに思いを馳せ、出雲崎を後にした。


家並みから日本海を望む


会津名産
 本ぼうだら煮
 にしん山椒漬

 
福島県会津若松市相生町
 Tel 0242-22-2274

Tel 0242-26-5555


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