リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.265


 令和7年11月発行
コンピュータとの出会い(その3
~富士通販売会社に入社、社会人デビュー~ 


 *本稿はリレー随筆#259(2025年5月1日号)
                掲載のエッセイのつづきである。


1979年4月、富士通販売会社、国際電子システム部に入社した。国際電子にはシステム部に 3人、CE部に2人が入社した。CEとはコンピュータのハードウェアの設置、保守点検、修理、導入支援を行う技術者Customer Engineer(カスタマーエンジニア)のことである。CE部に入社した2人は1年間、富士通でCEの教育があると話していた。
我々は 3か月間、富士通教育部でデイーラー新人教育を受けた。

1979年8月からステレオメーカーの大森工場に出向することになった。大森工場はJR蒲田駅東口を出て、品川方向に歩いて、10分程の所にあった。
工場を入って、蛍光灯のついたパーティションで区切られた部屋があり、そこがコンピュータ室だった。 9月から渋谷、宮益坂の小林ビルにあるコンピュータ室に移動した。
マシンルームは渋谷二丁目交差点近くのビルの5階にあった。
マシンルームには富士通製F230-48コンピュータシステムが稼働していた。
中央処理装置、オンライン処理用主記憶1M、バッチ処理用主記憶768Kが2セット、システムコンソール、システムプリンタが各2セット、紙テープ読取装置、カード読取装置、ラインプリンタ装置、磁気テープ装置、デイスクパック装置、その他にパナファコム製U200多目的制御用ミニコンピュータ、紙テープせん孔装置があった。

1979年9月の下旬、二子玉川の研修センターで、IBMによって体系化された、「効果的プログラム開発技法(IPT)」の研修を1週間受けた。     
IPTとは効果的プログラム開発技法(Improved Programming Technologies)のことで、研修ではソフトウェア開発の標準化や手法を教えてもらった。       
昼休み、誰かがピアノを弾いていた。近づいて見ると鍵盤の上に「STEINWAY & SONS」 の文字があった。素晴らしいピアノがさりげなく研修センターにあるなんて。この凄い会社のプログラムを作れる自分が誇らしく思えた。 
私が受けた研修は、後に「効果的プログラム開発技法」としてまとめられた。
このときの研修は、45年に渡って仕事の役に立った。       
                                     
初めて作ったプログラムはレーザーデイスク(LD)プレイヤーの売上表だった。
1979年10月から販売管理システムにLDプレイヤーの売上表が追加された。
売上表が数字で埋まるようになるのはしばらくしてからだった。LDプレイヤーは、1979年に業務用、1981年に家庭用が発売された。
高品質な映像・音声を家庭に提供した。業務用は、主にカラオケシステムで普及し、高画質・ランダムアクセス・非接触再生といった特徴が活かされた。
また、図書館などの視聴覚資料としての保存・貸出や高画質で耐久性のある動画再生機として北米市場に導入された。
(参照:「pioneerレーザーディスクプレーヤー3機種が、国立科学博物館の未来技術遺産に登録」https://jpn.pioneer/ja/corp/news/press/index/1936)
                                   
1980年11月から生産管理システムの在庫問合せプログラムを作った。
本社資材部では、アルミ精錬メーカーへの預け在庫を知りたい、また、加工メーカーへの払出し状況を把握したいという、要望があった。
本社資材部で、問合せ内容が画面に正しく表示されることを確認した。表示される時、データが画面の上からタラタラと流れるよう表示された。
                                   
1981年2月3月と東北工場向けの新生産管理システムのプログラム作成を行った。
新システムは、MRP生産管理システム(Material Requirements Planning資材所要量計画)と呼ばれ、IBM製4331 DOS/VSEで開発を行った。
初めて見る、IBM製4331の筐体はブルーで洗練されていた。
DOS/VSEのマニアルは3リングのバインダに綴じられていて、読み易かった。
                                   
今から50年ほど前にカーステレオ国内販売を初めて手掛けている。当時、カーデイーラーは存在せず、ガソリンスタンドや修理工場などに行って、売り込んでいた。
カーステレオメーカーは自動車メーカーとの間に組み合わせが決まっており、お互いに株式を持ち合う関係だった。後発のメーカーで苦戦していたが、 カーステレオの特販部を作り、自動車メーカーに売り込み、マツダを皮切りに1社、2社と増えた。品質に非常に厳しい自動車メーカーの要望に応える為にカーステレオを製造していた川越工場から東北工場に生産移管を予定していた。
そのための東北工場向け新MRP生産管理システムであった。
(参考:「対談・石島聰一東北パイオニア株式会社相談役×町田睿荘内銀行頭取」https://share.google/Jl33br2RPILNJZy5X)
                                    
マシンルームの手前には、運用チームの部屋があり、6人の社員さんと3人の
オペレーターがいた。                          
年末の仕事納めには、F230-48コンピュータシステムを停止させて、システムコンソールには、鏡餅飾りをお供えした。当時はコンピュータは神様のような存在であったのだ。仕事始めには、運用チームの人が鏡餅でお汁粉を作り、振る舞ってくれた。忙しくて帰省できない私の心に温もりを与えてくれたのが今も忘れられない。


河内 栄一
(かわうち えいいち)
関川村湯沢出身。
1958年5月1日生まれ。
関小学校、関谷中学校、村上高等学校(29回生)を経て、1978年4月富士通電算機専門学院入校。
1979年4月富士通代理店、国際電子入社。特別区向け、財務会計システム、クレジットカード会社向けシステム、メガバンク向けシステムなどを開発。
2023年10月に退職。埼玉県戸田市在住。





筆者近影










富士通製F230-48
  コンピュータシステム 
左側:磁気テープ装置   
右側:中央処理装置










國友義久著
 『効果的プログラム開発技法』
    (1979、近代科学社)










システムイメージ 目黒本社
通信速度(ポートレート)9600 bps








  
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