20世紀からの伝言 |
北越後の里山 6 新 保 岳(しんぼだけ) 文・イラスト 平田 大六 酒造家・登山家
新保岳は新潟県朝日村と同山北町の境界にに位置している。日本海の海岸線と平行に走る西山と云われる山塊のなかでの最高峰である。この山頂を源頭として西走している新保川、そして河口の集落浜新保などがこの山名の由来であろう。山頂の三角点が一等(補点)であるため、遠くからたづねてくる登山者も多い。 登山道がつけられたのは、1972年で新しい。朝日村の登山家遠山実(1949年生)さんらの奉仕活動によるものである。当時、都会からUターンして村に帰った初仕事がこれであった。23才の遠山実さんは仲間をつのって、6日間延30.5人で切り開いたという。 登山道は、林道の途中からいきなり立ちあがっている。尾根にとりつくことになる。登りはじめるとすぐに左側は足もとから赤沢にむけて急なガケになっていて、灌(かん)木がなければ赤沢の底が見えるくらいだ。 道の両側は背の高い木でおおわれていて、大半が陽のあたらない快適な道になっている。標高550m付近にわずかの距離だはあるが木のない急尾根があって、クサリやロープが取りつけられている。そして、この右手のすぐのところまで林道の延長工事だ。 やがて見晴台から尾根の傾斜はゆるくなり、広いブナ林にかわっていく。ここから頂上はすぐである。頂上はせまい。粟島も見えるが、まわりの木も高いので展望はそんなによくない。休むなら、さきほどのブナ林の中が最高であろう。登山口からゆっくる3時間。 私がこの山にはじめて登ったのは1972年で、道をつくったから見てほしい、といわれて遠山実さんに案内してもらった。それから30年近くたった2001年7月、何度目かの新保岳登山をして、遠山実さんのやられた仕事に感銘を新たにした。帰りはヤブをこいで林道の最先端に出てそこをくだったが、工事の人の話では、やがて林道は浜新保からのものと合流するということであった。 |
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