吉川真嗣・美貴の二人旅 No.17
〜町屋の屏風まつりを終えて〜
新潟県村上市を舞台に繰り広げられた、第2回「町屋の屏風まつり」も9月30日、盛況のうちに幕を閉じた。3月に毎年行われている「町屋の人形さま巡り」と共に、村上では子々孫々にまで伝える伝統行事にとの声も聞かれるほどに、定着してきた感がある。
この人形さまと屏風のまつりは、芸術的価値うんぬんを問うものではなく、それぞれの家が代々持ち続けてきた愛着や、それにまつわる逸話をお客様とともに分かち合う催しであり、訪れた人たちは、各町屋での温かい迎え入れられ方に静かな感動をおぼえて帰路につかれるようである。
屏風やお道具類の拝見は勿論、伝統的建築の生活空間である町屋の中まで入ることができ、そこに住まう人とのふれあい、会話がもてるという、まさに三拍子そろった、このおまつりに是非来年、あなたも起こし下さい。
この度62軒の参加店があったうちから、1軒、「小町 浪漫亭」のお屏風をご紹介致します。(今回初出展)
2箇所に16花弁の菊の御紋の御車が見られるように、これは時の天皇・皇后さまが京都の岩清水八幡宮にご参拝になられた折りの模様を描いた、6曲1双の屏風です。全国に八幡さまがたくさんある中で、八幡の本宮というのは、九州の宇佐八幡だそうで、その昔々奈良の僧侶がこの宇佐八幡にお参りになられた際、夢枕でお告げがあり「京都の傍にも八幡を建てるように」とのことで建立されたのが、この岩清水八幡宮だそうな。八幡さまというのは応神天皇を御祭りしているので、歴代の天皇家が100回以上もこの岩清水にご参拝になっている記録が残っているそうです。当時の行列の模様が、時代装束も雅やかに、ほとんど色褪せることもなく、非常に美しい状態で残っており、特に松の緑と装束の水色や橙色が目にとまります。この美しい彩色をするに当たっては、当時岩絵具を使用したとのことです。ちなみにこの岩絵具、どこでも手に入ったものではなく、江戸か京都へ出なければ入手できなかったとか。
行列で同行している人々をひとつひとつよく見てみると、提灯の家紋がそれぞれ違い、先頭の提灯は「ささりんどう」の家紋が入っており、これは源氏のものだそうです。源氏は天皇家の守護職をしていたとも言われており、供奉(ぐぶ)されたことが分かります。
この屏風が描かれた年代の質問を最もよく受けましたが、作者の名が入っておらず、細かな年代の特定はできかねますが、大雑把な特定ですがおそらくは江戸の中期以降のものと思われます。というのも、2つ根拠があって、1つは獅子舞が描かれていることと、人物を中心とした描写であることによります。(どちらも、江戸の中期以降に描かれるようになったとのことです。)
純度の非常に高い金箔を大量に使用したこのお屏風、もとのもとは一体どういう作者がどういう人のために、どういう目的で描いたものなのか・・・、謎の謎です。
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