鮭大漁(大正初期)
大漁を喜び、万歳三唱する人々。後ろには、十二所神社・羽黒神社・川内神社の大漁旗が並ぶ。
大漁旗は、千匹につき1本。場所は、三面川の河口付近である。 |
三面川は宝の川よ
あれよ見やんせ 鮭のむれ
初冬、街を歩くと、軒下に鮭が逆さ吊りになっているのを見かける。これを「塩引き」といい、村上地方独特のの鮭の保存法である。
三面川の鮭の歴史は古く、長寛三年 1165年の越後国司の国宣にさかのぼる。江戸時代は、歴代の藩主が漁業権を持ち、藩財政の一端を担っていた。
江戸時代の後期、鮭の繁殖と治水を図るため、「種川の制」が設けられ、明治時代には、日本で初めての鮭の人口ふ化所が設けられた。
それらの結果、明治17年には、73万7378匹という空前の漁獲数を記録する。
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鮭の大網漁(大正期)
今では見ることができなくなった。
大海戸などで行われていた地引き網である。
ふんどし姿で網を曳く姿が見える。 |
鮭の採卵(大正期)
とれたての鮭から取り出した卵は、その場で受精させ、ふ化場に運ばれた。
秋から始まるこの仕事は写真のように外とうと着込んで寒さをしのいだ。 |
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鮭の番小屋(大正末期)
活況を呈した三面川鮭漁の風景である。 |
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