リレー随筆「鮭っ子物語」  No.17

 「先人・加藤勝弥の
    面影にもっと光を!」



 郷土の偉大な先人に然るべき光を当てたいと願い、リレー随筆の紙面をお借りする。

 その先人の名は加藤勝弥(1854−1921)という。その生まれは現・山北町(旧八幡村)大字板屋沢であるが、その人間形成と活動の拠点は、終始、村上町(当時)であった。この先人・加藤勝弥に関する貴重な評伝資料である『回想の加藤勝弥』(本井康博編 キリスト新聞社1981年刊)のサブタイトル「クリスチャン民権家の肖像」が、キリスト者としての側面と近代日本の憲政史上の活動家としての側面を併せ持つ偉大な先人の輪郭を簡潔に表している。

 不思議なことには、この先人・加藤勝弥について識る人はまことに少ない。そこには、もしかして、何らかの史学的なタブーが働いているのではとさえ疑わせるものがある。2004年(平成16年)にはその「生誕150年」を迎えるこの先人の具体的な輪郭をなぞれば、江戸末期(安政元年)に新潟県の一寒村の一集落大字板屋沢に大庄屋の長男として生を受け、自由民権運動にいち早く身を投じて日本憲政の黎明期に明治帝国議会の第一回総選挙に当選、越後北端の草莽の中から、明治日本の近代化を進める一方、明治17年(1804)には、下越の城下町・村上町(当時)に於いて、妻(光子)や母(俊子)と共に、R・Hデビスより受洗して、明治日本の指導的キリスト者として活動、内村鑑三や新島襄などとの親交を通じて「北越学館」の創立ほか教育活動においても顕著な足跡を残した。

 身近に知る範囲では、この先人の面影に当っている光はあまりにも乏しく、その全体像と内実を知る手掛りは、わが郷土ではあまりにも稀薄である。上述した郷土の先人・加藤勝弥への鑽仰の思いを胸に、平成14年(2002)1月15日、旧・八幡中学校(旧・八幡村)時代の旧師・岩崎政子先生(現・洋画家=荷葉会)を久々にお訪ねした。旧宅を全面改装されたばかりのご新居のお祝いかたがた、正月のご挨拶を申し上げるためである。
視線を凝らして、旧師・岩崎政子先生のご温顔をあらためて拝すれば、そのお顔の背後には、ほかならぬ加藤勝弥の長女シン(信)と岩崎悌一の姿があり、その長男房太郎と松田まさよ(岩崎政子先生)の真ん中には、亡友・岩崎淳一(新潟県立村上高等学校の同期生で、交友の原点は、さらに、旧・八幡中学校時代に遡る)がこちらに向かって微笑んでいるではないか! 
いわば半世紀も前から、私はずっと「加藤勝弥」の至近距離に佇み続けて来たわけである―このわが身の迂闊さに恥じつつ、及ばずながら、この先人の面影にもっと光を掲げる努力を傾けたいと願っている。
          平成14年8月7日



リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)



本間 次郎

(ほんま じろう)

八幡村立(現山北町)
八幡小学校卒業(昭和25年3月)
元・富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)勤務
元・千葉信用金庫勤務





先人クリスチャン民権家
加藤勝弥(1854−1921)




筆者



加藤勝弥遺影 
於・加藤家後裔・加藤辰蔵家
(山北町板屋沢集落)
撮影:石塚 有(2002.5.24撮)




次回予告
米野 紀男(よねののりお)
昭和31年3月関小学校卒業



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