リレー随筆「鮭っ子物語」  No.15

 「虚心坦懐、
     村上のことども」


 村上から県外にでた自称、村上人には、三っの型がある。
 1、村上への懐郷の念だけをもち地元に対して何もしない人。
 2、己れの名誉栄達に走り、身内、親戚に限り全力投球し、村上のことは第三者まかせのタイプ。
 3、生れ育てられた村上に愛着をもち感謝し、物心両面にわたって協力するタイプ。
 小生、県の役人時代、村上人の評価は高く、たかだか四粁四方の狭い市域だが人間性は情愛深く義理人情さは県下一品。才智に丈け阿賀北、特有の言葉と皮膚の白さは村上人の特徴とも言える。一面、今時、他人が聞いたら、何たる時代錯誤と笑われるような階級意識も厳然として残り、不偏的用語となった「鮭っ子」と違い、己れは旧士族出身やら産土神は藤基神社やら先祖の出処が話の中心にもっていきたい輩もみられ後進地域の謗りをまぬがれがたい面もある。

 人は生れ乍らにして自由、且つ平等であるという人権宣言をだすまでもなく、階級意識をもった村上人が過去、村上のために何をやったのか、将来の展望に何をもっているかで驕れる平氏の例え同様、行末は察せられる。
 扠て、血沸き肉踊るの村上大祭、漆工芸、木彫りの美しさ大七車(大八車は細工町のみ)のきしみの音。今でこそ県無形民俗文化財の指定を受け豪華絢爛さは県内外の巷間に名を馳せているが、今から約15年前、若林久徳前市長・渋谷敏雄元教育長と県から直接の担当を命じられた小生が三人四脚で動きまわったものである。
 憲法第二十条、信仰の自由とのからみ、お旅神事の順路の確執、女性不参加の性差別、大観光客誘致のための思い切った桟敷席の設置等々。当時、村高同窓の山田善弘秘書課長(八回卒)当摩誠教育庁総務課長(十回卒)が陰に陽に協力して戴き、併せて岩船まつりの「しゃぎり曳行ととも山行事」も県無形民俗文化財に指定された。「たかがまつり、されどまつり」であり、現在、塩町を中心に県指定有形文化財申請の動きがあり、肴町、小国町、上町と水面下で調査調整をしており、佐藤順新市長と行政側のリーダーシップが待たれる所以である。
 教育庁在職5年間、村上、岩船大祭の県指定のほか、浄念寺本堂(寺町)の県指定-現在は国の重要文化財-、若林家住宅の全面的改築工事そして退官後ではあるが村上城跡の国の重要史跡指定とラスパイレス指数、財政規模の小さな村上市のために、少しでも「力」になればと微力を捧げたつもりでいる。

 故郷は遠くにありて思うもの…坂口安吾が言っているように、地元の鳳声は身内の肉声ともとれ、村上讃歌は自分自身への励みともなる。2005年には人口8万の大村上市になると言う。更なる発展を祈念して。


リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)



田村 真佐夫

(たむら まさお)

村上小学校卒業(昭和25年3月)
元村上高校教諭






県立新潟中央高校時代の教え子と共に筆者







故郷羽黒町のオシャギリ






羽黒町オシャギリの見送り













次回予告
宝田耕次(ほうだこうじ)
昭和25年3月村上小学校卒業

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