リレー随筆「鮭っ子物語」  No.12

  「幸っちゃんを忍んで」





 暮れなずむ夕陽に照らされた幸っちゃんの顔は、美しく、きれいで、忘れられない。

 村上幸子さんが亡くなって12年の歳月が流れた。12年間には色々なことがあり、私ですら歌手になった。きっと幸っちゃんが元気ならば、クラウンレコードからデュエット曲を出したであろう。

 私が幸っちゃんと出会ったのは、彼女が高校2年生の夏だった。ブルーのセーラー服姿で、学校帰り、私を尋ねてくれて、歌をきいて欲しいとのことだった。歌には色っぽさ、艶っぽさ、女の匂いは感じられなかった。しかし、清純な乙女の香りが不思議と私をも包んでくれた。こんな細くて、可憐な少女が歌手になれるのか?と、いう気持ちはあった。

 彼女は高校を卒業し、上京した。そしてレッスンを重ねて、見事にクラウンレコードからデビューを果たした。『雪の越後を後にして』のデビュー曲を私に聞かせてくれた時は、とてもとても嬉しかった。今、元気なら、大変な歌い手になっていたことだろう。今でも、幸っちゃん人気は生前同様人々の心の中で生き続けている。

 彼女の良さは、けっして自分から前に出ようとはしなかったことだ。常に後方に控え、力を発揮する人であった。幸子さんのご冥福をお祈り致します。





リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)



大倉 修吾

(おおくらしゅうご)

  新潟放送『ミュージック・ポスト』
パーソナリティ




幸っちゃんとデュエット曲を出したかった著者



大津の実家前にある村上幸子慰霊碑
(新潟県岩船郡荒川町大津)


『愛をありがとう』村上幸子


次回予告
稲葉 喜重さん
瀬波小学校卒業

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