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瀬波温泉旅館通り(昭和初期) |
舗装されていない道を人々が行き交う。旅館の前には自動車が止まる。 |
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瀬波噴湯(明治初期)
石油試削中に地下260メートルのところから突如150度の熱湯が噴き出した。その音は、村上まで響き渡り人々を驚かせたという。
瀬波温泉の始まりである。
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養真亭(昭和初期)
昭和2年、今の龍泉の西斜め前に建てられた割烹旅館。昭和12年に与謝野晶子が泊まって45首の歌を詠んでいる。
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瀬波温泉の風景(昭和初期)
左手に見えるのは吉田屋旅館の土蔵。その奥は大和屋旅館である。右手には長谷川旅館の看板も見える。道路に並ぶ人力車が当時の主要な交通手段である。 |
萩野屋旅館(大正末期)
村上では大変珍しかった木造3階建ての建物。山の上には別館があり、階段でつながっていた。祝日であろうか、入口には日の丸が掲げられている。
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噴湯口から見下ろした瀬波全景(大正7年)
静かな松林に囲まれて温泉旅館がたたずむ。
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浅野館(大正末期)
玄関先には自転車が見える。2階にいる女性はエプロン姿である。 |
五泉屋旅館(大正後期)
自動車に乗った客を見送るところであろうか。
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三嶋屋旅館(大正後期)
道路に面した所に建物があり、玄関は北向きか。2階に男女の客らしい人物が見える。 |
吉田屋旅館(大正初期)
玄関の前には黒い塀をまわし、側には荷車などがおいてある。右側の濡縁は車寄せか。2階の人物は客であろう。
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高橋旅館(大正初期)
現在の三嶋屋旅館の駐車場の所にあった。手前には人力車が見える。 |
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