日本の6・3・3制を先導したわが国唯一の実験校
関 谷 学 園 |
関谷学園は、我が国に基になる新教育の研究という大きな課題の解決に取り組むために文部省から指定された6・3・3制を先導する教育の実験校であった。関谷学園は、現在に関川村立関小学校の敷地にあった。
関谷学園の設立は、教育基本法及び学校教育法の制定(昭和22年3月)より9ヶ月も早い昭和21年7月2日である。
当時、文部省の教育研究所は、前途の新教育の再教育という目標達成の方策として、6・3・3制の実験校を都市部に一校、農山村部に一校、漁村部に一校の計三校を指定し、新しい学校教育の研究する計画を立てた。関谷学園は、全国の農山村部の代表として設立されたのである。
「岩船郡村上市新学制小学校50年史」より
|
現在の関小学校 |
栃木師範学校教授・女子部長佐藤仙一郎(関川村安角出身)は、昭和20年初冬、教育研究所主任所員城戸幡太郎と関東地区師範学校教員の集会で日本の新教育について語り合い、実験校設立地として故郷である関谷村(関川村)を紹介した。
翌年1月、城戸・佐藤同道で当時の村長渡辺万寿太郎を訪問、6・3・3制の実験校としての学園構想を披露した。城戸と渡辺は東京大学の同窓であることがわかり意気投合、学園開設へむけて発進することになった。
「関川村史」より
|