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自分の生れた家をとり戻し、いよいよ元の村上人になろうとここ一年は月に一度は村上へという生活です。ここ四・五十年で村上も大きく変わってきています。それは良くも悪くも変化してゆく事に誰もが抵抗なく順応できる訳ではないのですが寂しさを感ずる場面にもあう事になります。建物や道路が立派になって大きなスーパーマーケットができて・・・という他に私が一番感じているのは村上弁が話されなくなってしまったという事です。 元々、村上弁には本町言葉と町言葉がありました。戦後学校が合併されて間もなく町言葉に飲み込まれてしまった感があり乍ら本町言葉を使う本町衆には言葉に対する誇りと自信があったのではないでしょうか。 村上弁としての方言も沢山ありますが、村上弁の特徴は、アクセントのつけ方の妙というか、そのイントネーションの面白さ、やさしさにあると思うのです。 東京へ出て来た時に「わたし」「わたくし」が気恥ずかしくつい「おれ」とか「おら」が出てしまったり、アクセントのつけ方が違うと笑われたり、馬鹿にされたりしました。高校生の頃、岩船から来ているクラスの友人が「おれちょ」とか「おめちょ」っとか使うのが、私はとても好きでしたから「おれ」や「おめぇ」は親しみをこめてあたりまえでした。しかし、人前で話す事が仕事になればそうも云って居られず少しづつ直すようにはしたのですが、なまりは今だにぬけなくてそれはそれで私らしいと思うようになりました。 十代のおわりから二十代にかけての頃、帰郷する時は急行列車で新津で羽越線に乗りかえて村上へと向かう列車の中の話し言葉ががらりと変って、まして列車が村上に近づくにつれ岩船弁や村上弁、村上なまりが生き生きと聞こえてくる楽しさ、なつかしさは、石川啄木ではないけれど「ふるさとの、なまりなつかし停車場の・・・」の心境がとてもよく解るものでした。 現在の新幹線に特急では(私も、その便利さは大いに楽しんでいるのですが)味気ないものです。 冒頭の「だーまた」という方言は云い得て妙です。「だって」「だから」「ええ」「そうです」であるような、ないような、文字や文章では云いあらわせないイントネーションと共に、その奥深さは計りしれません。大事にしたい言葉のひとつです。 八月の盆過ぎに私にとっては五十年ぶりくらいでしょうか、中学の同期会があって運よく参加することができました。七十名の参加でしたが「記念に写真とるすけ、こいっしゃ」とばかり席近くの人が集まった女ばかりのスナップです。この機をきっかけに、九月には中学校の頃のバレーボールをやっていた仲間が五人集まって食事会をやりました。思いっきり村上弁で、村上まなりでの会話は、何を話していたという訳でなくても、とびっきり楽しい時間でした。私が忘れていた村上弁も沢山あって思わずメモをとってしまいます。 今は村上弁も五十代後半以降の人でなければ使えなくなっているといいます。自分の出身地のお国言葉やなまりを売りものにする芸能人や著名な人が沢山います。その反面テレビやラジオの影響で言葉が平均化されてそれが良いのか悪いのかは別として、一様の淋しさを感じている人もいる事はたしかです。もしかして私のようなUターン人間がその原因なのかもしれませんが。 村上弁を残して下さい。自分の生れたところの言葉だからもありますが・・・ だーまた、ごっしやける、話らっせェ
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