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黒須やすこ クラシックの面白さを語るPart5 |
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村上歴史文化館にあるキャロル・オットーは、作曲家大和田愛羅氏(代表作「汽車」)が、日本初の女流ピアニスト久野久子さんの遺品として譲り受け、愛羅氏の遺族から村上市に寄贈(平成18年)されました。 本格的なピアノ調整をする事で、いま以上に延命することができます。 ピアノ調整導入の願いをこめて、コンサートを開催いたします。 今宵は「名曲の魅力」 スカルラッティ ソナタ L23 ベートーヴェン ソナタ テンペスト 作品31の2 ショパン ノクターン 作品15の2 ワルツ 作品64の2 ドビュッシー 子供の領分から レスピーギ シチリアーナ(リュートの為の古風な舞曲とアリアから) プッチーニ 小さなワルツ 主催:ブロンズinむらかみ 共催:(公財)イヨボヤの里開発公社 お問合せ:ブロンズinむらかみ п@0254-52-7206(安沢) メール i2001@murakamai21.com チラシ(PDFファイル)リンク |
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久野久子&大和田愛羅 このピアノ「キャロル・オットー」は、1906年頃から東京音楽学校生の久野久子さん(1886-1925、ピアニスト、後に東京音楽学校教授)が所有 していました。久野久子は、15歳で東京音楽学校(東京芸術大学)に入学して洋楽に触れ、このピアノで猛練習に励み、日本のピアノ演奏家第一人者となりま した。特にベートーヴェン作品の演奏家として有名で、その迫真的な演奏スタイルは独特であったと記録されています。 また、国内で多くの演奏活動を行い、大正初年、小松耕輔、東儀哲三郎、大和田愛羅の3者で発足した音楽普及会の客員メンバーの一人でもありました。 その後1925年、久野久子が、始めてのヨーロッパ修業中に自殺するハプニングが起きたあと、東京音楽学校の同窓で同い年の大和田愛羅が、久野久子の家族から遺品として託されたのがこのピアノです。 大和田愛羅(1886〜1962 「今は山中 今は浜」で始まる唱歌「汽車」の作曲者 大和田愛羅は、村上市塩町の安泰寺に眠っています。大和田愛羅 は、明治19年3月24日(1886)、東京都牛込区(現新宿区)下宮北町に、大和田虎太郎の長男として生まれる。)は、当時上野にある音楽学校に近い文 京区本郷林町に家族と住んでいましたが、愛羅の姪で東京音楽学校生であった佐藤文子さんが、結婚する時にこのピアノを譲り受けました。以来現在まで、娘の 佐藤茂子さん宅で大切に使用されていました。 |
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