2016年8月号 | ||||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.182 |
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学び続けた声楽からの贈り物・・・・「歌声村上」 |
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平成28年7月10日(日)私は村上市教育情報センターのステージで歌っていました。 それは、ようやく春めいて来た3月初めのことです。村上高校同期で郷友会会員の田所和子さんから久し振りにご連絡を頂きお会いして、「歌声村上」のゲストコンサートへのお誘いを受けたことが始まりでした。 私は昔、本町と呼ばれていた現在の飯野で生まれました。200年も経つ古い茅葺屋根の家でしたが、今思い出しますと、割と使い勝手の良い間取りだったと記憶しています。その昔先祖は殿様より拝領した土地に住み、ささやかにお仕えしていたと思います。 子供の私に、祖母がいつも語ってくれて今も覚えているのですが、「侍が大刀、小刀を差して、家の前の道を通るときに、我が家の杉の木の生垣に刀が触れてしまうほど道幅が狭かったこと。そして、家来として住んでいたのは10軒にも満たなかったこと」など、 見たこともない遠い昔の様子がなぜか目に浮かんできます。 幼い頃から歌わない日はないほど、歌が大好きな子供でしたが、音楽の道には進めずに参りました。子育て、家事、仕事と多忙の毎日を過ごしていましたが、「自分が本当にやりたかったこと」の心の奥深くの思いに動かされて女声合唱やアカペラのアンサンブルを学び始めました。 幸いなことに、夫が後押ししてくれました。「私たち世代は老後が長いから、好きなことを持って、それを通して友人が出来ることが、豊かに暮らせることなので続けて良いよ」と。 そして、勤務していた公認会計士事務所の所長も「人生で趣味を持つ事は大切なこと。お続けなさい」と。声楽を学ぶ日は仕事を休ませてくれました。 すると、不思議なことに二期会会員の声楽家で音楽大学の先生との出会いがあり、より深く、クラシックを学ぶ道に入っていきました。 仕事を続けながら、毎年数回の声楽コンサートやコンクールに参加し、ソプラノ三人でのリサイタルを主催しておりましたが、また突然の出会いがありました。現役で活躍中のオペラ歌手のオペラを観た時、身体の全てを楽器にして演奏される歌声と演技に心から感動しました。「教えていただくのはこの先生、今しか無い」という思いだけで、自ら飛び込んで教えを乞うたのです。その時「これからも生きている限り年を取ります。歌えない年齢になったときに、学んでいた今を振り返り、心からの幸せを感じる自分でいたいです」と先生にお伝えしました。すると「私でお役に立つようでしたら、是非どうぞ!」と言って頂きまして、師事致しました。 そうして声楽の厳しくも奥深い世界に、なお一層迷い込んでしまったのです。 そんな折、前述しました、今年の「歌声村上」のお誘いを頂き歌うこととなりました。 雅やかな日高さとみさんのお箏の演奏と、田所和子さんの澄み切ったソプラノの歌声に続いて、私はイタリアンカンツォーネナポリターナより「忘れな草」日本の懐かしい曲「水色のワルツ」最後に同じくカンツォーネから「オー・ソレ・ミオ」を歌わせていただきました。 まず「歌声村上」の沢山の歌好きのお客様の反応の良いことに驚きました。そしてステージの後の、村上高校同期の皆様との「51年ぶりの再会の喜び」は、まるで同期会が始まったかのようでした。長い年月お会いすることのなかった顔と顔が、一瞬のうちに昔の日々のままに戻っていたのです。 そして、友人たちの「新幹線で駆けつけるからね」という強力な後押しを頂き、来年、横浜でリサイタルを開くことを約束させられました。 夜は親戚のお誘いを受け「新多久」さんでの幽玄の世界を思わせるお庭を眺めながら、お料理を楽しみ、村上の奥深い美しさに感動いたしました。様々なお話に花が咲き、村上の美酒に酔いしれたのは言うまでもありません。「わが故郷はこんなにも誇れる町」と実感しました。 この度の「歌声村上」への参加は、正に「学び続けてきた声楽からの贈り物」だったと 思います。この機会を頂きまして皆様に大変お世話になりました。心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。 |
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