2016年7月号 | ||||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.181 |
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「宝田明物語」 |
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昨年秋、朝日の文化会館に於ける公演の際、お会いした宝田明さんと同じ満州のハルピンで昭和20年8月15日の終戦を迎えた事をお聞きし、それ以来のご縁で、本年5月20日、村上市ふれあいセンターでの「宝田明物語」のお手伝いをさせて頂きました。 昨年秋の公演後に差し上げたお礼状は以下の通りで、今年村上にお出かけ頂けたものと感謝しております。 |
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拝啓 朝夕は寒さを覚えるほどの季節となって参りましたが、相変わらずのご壮健にて多忙の日々をお過ごしのことと拝察いたします。 先日は村上総合文化会館に於ける「わが青春の戦争と平和」ご講演の折、控室で親しくお話をさせていただく機会を得て感激し、その折、色紙に「飛躍」のお言葉を頂きました上、このたび又「不戦不争」の色紙をご恵送頂き、誠にありがとうございました。 七十年前ソ連軍の無法な侵入による惨状を体験した者の一人として、一層平和への願いを強くしております。 先日も少しお話し致しましたが、私どもの父は、昭和14年に郵政職員として当時の哈爾浜郵政監督局に赴任し翌年、当時5歳の私と弟を連れて母が渡満して、中央大街からほど近い東公寓にあった郵政官舎で暮らし、私は昭和17年春白梅国民学校に入学、4年生の夏に終戦を迎えました。 戦後、両親や幼い弟たちはほとんど外出もせず、一家を支える立場になって、秋林デパートの前で毎日新聞売りをした日々の事を今も鮮明に思い出します。 1年後の昭和21年秋、無蓋貨物に乗せられて引き揚げ開始、哈爾濱駅を出てからの1ヶ月、途中線路が途絶え重いリックに、幼い弟の手を引いて歩いた道のり、浅瀬を探して川を渡った記憶も蘇ります。吉林では旧兵舎の馬小屋跡に寝起きして、炊き出しの焦げた飯を分けて貰うのに必死だったことなども思い出します。葫藎島からの引き上げ船は、私共も旧海軍の駆逐艦「夏月」でした。玄界灘の波濤を越える時、大人たちが船酔いで苦しみ、船底に横たわっているとき、少年たちは、甲板の大双眼鏡で荒波を見渡していたことなども思い返されます。 漸く博多に着岸しても消毒などの為待たされ、故国の土を踏んだのは今頃の季節だったと思います。 (中略) 現在のハルピンは、人口一千万人を超える大都市に発展し、新潟空港からは連日旅客機が行き来しており、機会があれば訪ねてみたいです。 村上では今、三面川に鮭遡上の季節を迎え、一括採捕の川辺は観光客の訪れなどあって賑わっております。家内がご署名を頂いたCD「私の願い」を町内婦人有志の会に持参して、皆さんに聞いて貰い、私も今、お歌を聴きながらペンを持っています。 私はお城山の麓に暮らす幸いで天守台までの登頂を日課として、川や海の景観を楽しみ、自然豊かな村上を堪能しております。 宝田様には、連日各地でのご講演などご多忙の日々と存じますが、故郷村上へ又のお越しを楽しみに、言一層のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。 敬具 平成二十七年十月三十日 |
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佐藤 廣 | ||||||||||||
宝田 明 様 |
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5月20日、村上市民ふれあいセンターでの「宝田明物語」公演は大盛況で、大勢の皆様には70年前、外地で終戦を迎えた国民の苦悩の体験談と素晴らしいミュージカルに大感激でした。 |
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