2016年5月号 | |||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.179 |
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私の使命 |
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平成18年6月11日夜半、新多久は全焼した。その時から私の人生は変わった。毎日毎日100人もの人達がてぬぐいをかぶり、軍手をはめ、長靴をはいてすすの中後始末の手伝いにもくもくとはげんでくれた。我々家族はその姿を見てすべてを失ったショックよりもその暖かい心に感動して声をあげて泣いたのを思い出す。 新多久は山貝家だけのものではない、村上地域の人達の新多久なのだと改めて思い知らされた。形あるものよりも人の心の尊さ。ありがたかった。私達はたくさんのお見舞いをいただき、お世話になりながらお返しもできないつらさを味わった。主人は「まづ新多久を盤石にしてそして地域の為に自分達の出来ることをする事が恩返しになる。それしかない。」と。 翌年10か月後お陰様で再建できた。がむしゃらに働いた。そして3年後主人が亡くなった。火事よりもなによりもショックで落ち込んだ。 お葬式の後私は仕事をする気力がないと思っていたが息子たちに「そんなことでどうする、ちゃんと着物を着て店に出ないとだめだ」とたしなまれた。私はしぶしぶ着物を着て仕事をした。それも笑顔を装って・・・その一日がなかったら今の私はなかったように思う。 命って何?人は亡くなるとダビにふされ肉体はなくなる。それで終わりなのか。それは違う。その人の想いを受け継ぐ事が命をつなげる事なのだと一人で結論づけた。 町屋再生プロジェクト、黒塀プロジェクト、竹灯籠まつり。すべて主人がやってきたことを受け継いだ。村上大好き、小町大好き、そしてお祭り大好きだった主人が歩いてきた道を私は今歩いている。 そして今年の4月で新多久が再建して10周年を迎えた。 あっという間の10年。これもすべて皆様のお蔭。私達家族はこれを信条に生きている。新多久の棟札には700人もの火事の時お世話になった人達の名前が刻まれている。そして最後にはお礼の言葉も添えて・・私達の財産はたくさんのお世話になった方々です・・と。 これからも我ふるさと村上は暖かい町でありますように!すてきな町になりますように! |
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