2016年4月号 | |||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.178 |
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平成28年睦月16日 |
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「三面川の鮭を食べる会」の報告や、総会と「三面川の鮎を食べる会」に向けた相談事などのために開かれた東京村上市郷友会の役員幹事会は、いつもより早めにお開きとなった。どなたかが 「日本橋で村上の物産展をやっていますよ。応援に行きませんか?」 と発声した。都合のついた7人は、高田馬場駅から地下鉄の客となり日本橋三越前へと向かった。 地下から地上に出て、風情ある日本橋を渡り、幾本かの灌木の中に鎮座している『日本国道路元標』をながめ 「これが五街道の始まりの道路元標か。」 と往時に思いを馳せていると、 「それは本物ではない。本物はそこの道路の真ん中にあるんだよ。」 と声をかけてきた方がいる。年の頃なら70代後半、東北訛のある小柄なおじさんである。 「へえ~」などと7人の団体は、物知りの方にお会いしたという表情で口々に相づちを打っていると、いきなりおじさんは 「江戸時代の大名の中で、徳川直系はいくつあったか?」 と聞いてきた。即座にこたえられる者はなく困惑していると、矢継ぎ早に 「そのうち越後には」 と話し始めた。 「そうそう、私たち越後の出身者なんですよ。」 と誰かが後追いで出身地を告げると、 「越後の村上藩は内藤氏が殿様だが、内藤家は全国に何か所もある。」 と、これまた私たちが村上出身であることを見抜いたように語り始めた。 「えっ! 私たちは越後も越後、その村上出身なんですよ。」 と、調子づいてきた。 今の新宿一帯は江戸時代には内藤新宿と呼ばれ、内藤家の広い敷地だったとおじさんが話すのを聞き 「あ~、歴史で習ったあの内藤新宿が村上とも関係があるのか。」 と、やっとつながったのは、私だけだったのだろうか。 「それでは、時間がないので5分だけ話すよ。」 と前置きして、カバンから何やら取り出した。それは、「江戸幕府将軍表」「徳川将軍家の家紋表」「徳川幕府諸侯格式一覧表」「徳川将軍家系図」「江戸大名家紋地図」のコピーであった。特に「江戸大名家紋地図」を見ると、内藤家の紋を持つ大名は現在の福島県にも長野県にも愛知県にも宮崎県にもみられ、興味がそそられる。 ここで約束の5分はとうに過ぎるが、また 「折角だからあと5分話すよ。」 と付け加えて 「ロッキード事件の時、同郷の田中角栄を逮捕した村上出身の法務大臣の稲葉修は偉かった。」 などと話し出す。われらが先輩の稲葉修氏についても、なかなか詳しい。 レプリカ道路元標を行き交う人々や、立ち止まってそれを眺める人々の邪魔になりそうなほど、私たちの団体はその場で話を聞いていた。瞬く間に5分は過ぎた。 「あと5分、こっちで話しましょう。」 と、いつの間にかおじさんのリードで、通行人の邪魔にならない少し日陰の場所へ移動させられていた。するといきなり、 「今日は皆さんに感謝します。」 という。さっきからビックリ続きの私たちは、何のことやらと不思議そうな顔で互いを見合った。 「今日は、石坂浩二にドタキャンされ気分が悪かったところへ、皆さんと会って私の色々な話を聞いてもらいすっきりしました。感謝しているのです。」 と言う。両国の江戸博物館で講演をする予定がキャンセルになったとも。自分は文部科学省文化庁の何とか審議委員をしているという。自分の専門は、テレビドラマの時代考証や、刀剣の鑑定だという。時代物のテレビ番組に協力したり、「なんでも鑑定団」の刀剣の鑑定には出演しているとも語った。 今回は石坂浩二に会う時に必要であった資料を国会図書館から取り寄せて上京したとのことで、用意周到にしての面会が、電車の中で受けた電話で突然のキャンセル。しかも、事務方から理由もなく一方的に。 「もう石坂浩二には、絶対に会わない!! 」 と、おじさんをして言わしめていた。 そういうわけで、その日の資料を、よく話を聞いてくれた私たちにプレゼント。……と言っても、国会図書館へ支払った資料代は催促されたが。 「5分間だけ」を繰り返し、とうとう小一時間付き合ったその人の名は『篠原紘一さん』。次はテレビでお名前やお姿にお目にかかるかもしれない。 村上の物産展は大盛況であったことを付け加えておく。 |
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