http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2016年2月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.176



鮭鮏往還 その二 



横田 謙輔
(よこた けんすけ)
1938年
町立岩船尋常高等小学校 入学
雅号:素山
東京・村上市郷友会筆頭相談役
東京都小平市在住







三面川の鮭を食べる会で
挨拶する筆者






















佐藤幹事、大滝副会長、横田夫妻
(左から)



 論語の述而第七に「発憤忘食」と在る。この四字言葉が目に留まってしまった。
葉公と言う専ら信望の厚い人物が、孔門十哲の一人である子路に孔子(BC551~479)の人柄に就いて見習いたく尋ねたのである。子路は何も返答しなかった。先生が余りにも偉大で、どう返事して良いか分からなかったと。そこで、子が言うには「人の将来を憂えて心情が高ぶると、食事さえ忘れてしまう。楽しい時は憂い事を忘れる。老いが訪れようと気にかけない。そんな人なんだと言って欲しかった」と叱った。理解が進まないと「コーヒー、一杯飲んで」とか「飯でも食べて」とかが、如何にも当世風で分かり易い。食を忘れるどころか食と繋がっていて飲食を思い出してしまう。そこでは、それと同じプリンシブルが働くとは言えまいか。
 それで感慨深く想い出されることがある。東京・村上市郷友会の先の事務局長市岡貞雄から「会の名前をどうしましょうか」との聞き合わせがあった。「ありのままではどうかね」と応えた。そこで「三面川の鮭を食べる会」が決まった。街中を流れる三面川は12世紀より鮭漁が確認されており、18世紀には世界に先駆けて村上藩による「種川」制が設けられ、鮭の保護繁殖政策が執られ、今日に至っている。藩士青砥武平治の功績と恩恵なしでは今日の「食鮭会」はない。以来、この会は郷友会の主な行事として「三面川の鮎を食べる会」と並んで、毎回百人余りの参会を得て開催されるに至った。
 元来、同じ火に掛け、煮たり焼いたり蒸したりしたものを神前に供え、祈りを捧げ祭った。その御下りを皆んな揃って頂戴し、神を人格化して共に食べるのが「共食(きょうしょく)」である。とりわけ飲酒は神人交流の境地を作り上げ、非日常性を招く所となる。
 この会は岩船や村上の縁で結ばれる人々や県人が集い、着座して会食する。永らく上野黒門町の新潟県人会館で行われて来たが、この度は不忍池畔の森鷗外ゆかりの鷗外荘で行われている。
 憶えば、三度三度の食事を摂るのは家族の単位だった筈だが、家庭内の食事の比重が減り、昔日の面影は無い。生活事情が変わり、又、社会環境も変化し、止まる事がないからだと思う。例えば児童は学習塾に行き、親は残業等で両者の時間帯が合わず、時空不一致を招く例である。似た例は数々あらうと思う。今日の世の中には内食(家庭で調理してする食事・ないしょく)、外食(家庭外でする食事・がいしょく)、中食(店で買い、家で直ぐ食べられる食品・なかしょく)、給食(学校や職場でする支給食・きゅうしょく)、宅配食(給食メニューによる宅配・たくはいしょく)などがある。給仕が如何ようであれ、家族が食卓を囲み食事し、話を交わす一家団欒の楽をうけるのは貴ばれるべきであろう。無言でも良い。或いは一杯の茶を汲み交すことでも良いと思う。内科的には食欲が司さどられる。欲望の一つがこれで維持されれば心身の衰えを忍ぶことになるかも知れない。学校と勤務先の先輩、吉本隆明と作家吉本ばななの姉ハルノ宵子の共著「開店休業」が発行された。終章に、「食」を巡る物語は、そのまま「家族」の物語だ、と在る。
全く同感で感応した。
 将軍足利尊氏創建の曹洞宗龍門山等持院高安寺の森林近くの医療法人社団清新会ピースプラザの仮寓にて書く。東京都府中市にて 

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リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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