2016年10月号 | ||||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.184 |
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わが故郷村上と郷友会 |
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今でも、都内のJR駅で、上野大仏のポスターを見かけることがある。等身大ブロンズの大仏の頭部レリーフと、興味深そうにポーズをとるギャルの取り合わせだ。郷友会の皆さまにはご存じの方が多いに違いないが、上野大仏の歴史を少し書かせていだだく。江戸前期の1631年、村上藩主、堀直寄により仏殿とともに現在の上野公園の地に建立された。当時は漆喰だったが、火事で焼失。大仏は新たにブロンズとなったが、安政大地震で首がおちた。1843年、直寄の子孫、村松藩主 堀直央(なおひで)によって再興。しかし、関東大震災でまた首が焼け落ちる。 現存のレリーフは、1972年、寛永寺に保管されていた頭部を補修して安置したものであるという。あの大仏さんにはこんな歴史があったのでした。 以前は、上野大仏といっても通り過ごしていたのだが、それが、村上ゆかりと知って俄然興味が沸いたからから不思議である。また、首相官邸の南半分が村上藩内藤家中屋敷だったことを官邸前の案内板で偶然知ったときも気持ちが高揚したのを覚えている。そんなわけで、私は、村上に関する番組は見逃さないように眼を凝らしている。そんな人種はどうも私だけではないようだ。仙台在住の友人は時々村上情報をメールで送ってくれる。新潟日報にはいつも目を通していると言っていた。7月の祭りには万難排して村上に帰るという人を沢山知っている。故郷への郷愁が多くの人に強く残っているんだということを実感している。 そんな背景があって、東京に出てきた先輩が村上郷友会を130年前に作ってくださった。私はここ数年ではあるが、郷友会の行事に参加、運営のお手伝いもさせていただいている。 この9月には、今年も「三面川の鮎を食べる会」が東京信濃町で開催された。12月には「鮭を食べる会」が予定されている。故郷三面川で釣った鮎と鮭を東京で味わうというのは素晴らしいアイデアだと思う。このイベントができるのは、村上の心ある人の協力があるからだ。今年は例年と会場が変わったが、この料理人と会場の確保が難しい課題だったと聞く。村上から食材を持ち込み、村上生まれの皆さんの舌を満足させる料理に仕上げることは並大抵のことではない。今年はあらかじめ試作をしてくれたという。東京にいてかくなる贅沢のできる幸せを思う。このような、準備の苦労を知って、多くの人たちの献身的な尽力あってこの会の継続がされていることに強い感銘をうけた。賑やかに盛り上がった会ではあったが、東京近郊に住まう「村上人」「村上ファン」はこの会の存在を知らない人がまだ多いと思われる。故郷を語りあえる貴重な機会である。天下に名高い越後の地酒も堪能できる。そして、故郷の友垣と語りあい、親しい顔を思い出す。ただ、それだけのことだが、その場には不思議な引き合う力がみなぎっている。かけがえのない時間と場を共有できているように私は感じる。 郷友会は長きにわたり郷土の絆を守り育ててきた。それは、生きがいと喜びを提供するという大きな役割を担ってきたということではないか。これからも、郷土を同じくする人を核に共鳴してくれる人の輪をもっと広げられたら素晴らしいと思う。 私は、村上高校同窓会関東支部で7年ほど運営の手伝いをさせていただいている。 郷友会の存在を広め、相互にもっと協力を強めてゆければと考えている |
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