2015年11月号 | |||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.173 |
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村上紀行―村上に先祖のルーツを探る |
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最初に自己紹介をさせていただきます。私は現在埼玉県に住んでおりますが、東京の生まれです。祖母(永田キヨ)のルーツをたどっていくうちに新潟県村上市に行き着き、祖母が村上藩の藩士の子孫であったことが明らかになりました。そのゆかりで、東京村上市郷友会に出席することになり、赤見会長と佐藤代表幹事のお勧めにより、この文章を書くことになりました。 私は戦争中の生まれで、終戦の年に父を亡くしています。戦争で親族が離散したために、父親の家系についてはこれまでほとんど知ることがありませんでした。数年前定年になったのをきっかけに、父方の先祖について調べてみることを思いつきました。それで、祖父についてはかなりはっきりと家系をたどることができたのですが、祖母のほうは先祖が越後村上藩の出身であるという伝聞以外に手掛かりがなかったのです。 とかくするうちに、新潟市に出張することがあり、この機会を利用して、新潟に一泊して翌日村上市を訪ねることを決心しました。平成21年5月15日のことです。この日はたまたま父の命日でした。朝早めに新潟から秋田行きの特急「いなほ」に乗りました。当日は晴れたり曇ったりの天気で、駅に降り立つと風が強く肌寒く感じました。海が近いせいで時おり潮の香りが漂ってきます。町の概念をつかむために、駅からお城まで歩くことにしました。村上は、戦災に遭わなかったせいでしょうか、古い街並みがよく保存されています。市役所に向かって歩いて行く途中、「城下町情報館」というのを見つけ、そこに寄ってみることにしました。ここのボランティアの一人の岩佐さん(本業は名産の村上椎朱の職人だそうです)という方からいろいろアドバイスしていただきました。村上藩の歴史については、これについて本を書いた大場喜代司という先生がおり、頼めば話を聞かせてもらえるということを教えてもらいました。 次に市役所に行き、戸籍課を訪ねました。あまり期待していなかったのですが、驚いたことに祖母(永田キヨ)の除籍謄本が保存されており、その写しをもらうことができました。これはまことに幸運でした。この謄本から祖母の家系がかなりはっきりしてきました。昼食後は町の図書館に寄ってみました。ここで、『村上郷土史』という資料を見つけ、この本の中に祖母の祖父(永田又兵衛)の名前を発見しました。「給人・石高二百五十石」という記載がありました。帰りの時間が迫ってきたせいもあり、まだいろいろ調べたいことはあったのですが、今回の調査はこの辺までとすることにしました。偶然と幸運に助けられたせいですが、期待以上の結果が得られたことに満足して、帰途につきました。 二回目の村上訪問はこの年の11月1日でした。今度は幼い頃祖母と一緒に暮らしていた従姉を誘いました。私は妻、彼女は夫を伴い、夫婦二組4人の旅行で、瀬波温泉に泊まることにしていました。第1日目は、郷土史家の大場先生を訪問してお話をうかがいました。その結果、先生からいろいろ貴重な情報を得ることができました。永田家は江戸時代村上藩の歴史のところどころに名前が出てくること、特に幕末には藩の教育に携わる学者の家系であったことなどを教えていただきました。二日目は、午前中まず村上城の城址を訪ねました。お城山に登った後、村上城址保存育英会を訪ね、高久義久理事長から村上藩と村上城についてお話を聞くことができました。そして、「鮭の子」の名簿を見せてもらい、その中に祖母の甥の永田安雄の名前を確認することができました。 村上の町を訪れて一番感じたことは、市民の皆さんが本当に親切であったことです。会う人皆がそうで、これはほかの土地では考えられないことです。それというのも、大場先生が『藩物語』の最終章で書いていますが、村上藩時代のよき伝統が今なお受け継がれているからではないでしょうか。祖母の生まれ故郷がそのような土地であることは、私にとっても誇りです。どうかこの伝統がいつまでも続いてほしいと願っています。 |
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