2014年3月号 | |||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.153 |
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ふるさと村上の若者に感動 ~平野歩夢君冬季オリンピック銀メダル獲得に寄せて~ |
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東京村上市郷友会からのお祝いの言葉 <その1> ロシア ソチで行われた冬季オリンピックにスノーボード・ハーフパイプで日本代表として出場し、世界の強豪を相手に、プレッシャーを撥ね除け堂々と銀メダルを勝ち取ったのは、我がふるさと村上市の平野歩夢君という市内中学校在学中の三年生の少年だった。 昨年の秋、その昔村上藩の鮭増殖に功績のあった藩士青砥武平治生誕300年記念イベントに妻と村上を訪問し、大滝村上市長にお会いした折、平野君のことをお伺いしてから私は平野選手のオリンピックでの大活躍を密かに期待はしていた。 今回の歴史的快挙に接し、遠くふるさと村上を離れ首都圏で生活している村上大好き人間の集まりである「東京村上市郷友会」としても、お祝いの気持を何とか伝えられないものかと横田謙輔顧問のアドバイスもあり、とりあえず大滝市長へ次のような祝電を送った。 |
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大滝村上市長殿 冬季オリンピック初の銀メダル獲得は日本中が悶々としていた中で本当に価値あるものとなりました。ふるさと村上から立派な選手の誕生とそのご家族を誇りに思い、心からお祝い申し上げます。 東京村上市郷友会 |
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スノーボードというスポーツがスキー板の短いもの一枚で飛んだり跳ねたりする競技いうことは知っていたが、「スノーボード・HPでメダル獲得!」のニュースに接しホームページ等でいろいろあらためて調べたという国民が多くいたという話も聞いた。また前回のオリンピックではパンツをずり下げ、だらしない態度でインタビューに応じていた若者の代表選手が話題になったが、今回の村上出身の若者は違った。メダル受賞後、沢山のインタビューやテレビ出演での受け答えが実にりっぱであったと思ったのは私だけではないだろう。またご両親の立派な態度にもメダル獲得の快挙同様に感動した次第である。 「鮭 酒 人情(なさけ)」、ふるさと村上市が、若者の町おこし運動等から元気を取り戻し、テレビの放映などでも全国区的になってきた矢先、今回の快挙で新潟県村上市がまた違った面で有名になったこと本当に喜ばしい限りである。折からの東京大雪の中、東京新宿抜弁天に眠る村上藩時代にお世話になった我が先祖の墓前に報告し、感動を分かち合った次第である。 |
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東京村上市郷友会会長 赤見 市郎 | |||||||||||
<その2> 日頃親しくしている郷友会会員の方から突然の電話を貰った。「今、テレビを見ていたんだけれど銀メダルを獲ったあの中学生は村上のどこに住んでいるの。いやー良い子だね、ご両親はどんな方。村上の誇りだね。ところで村上第一中学校とは我々が卒業した学校のことなの。」等矢継ぎ早の質問攻めにあった。 私もあまり詳しくはなかったが、地元の同級生仲間からのメールなどでいろいろ事前情報は入っていた。 「小さい時はかなりのやんちゃだったようだ。瀬波温泉の岩船寄りに昔の市民会館が残っており、その古い体育館の中にかまぼこ型を逆さにした巨大なお椀のような急斜面を作り、車を付け板に乗ってゴーゴーと上がったり下がったりしていたのを見たことがある。あの施設を誰が作ったのかは良く知らないが、昔のサーカスを見ているようだった。ここまで来るには親もいろいろと大変だったと思う。ただアメリカなどの先進諸国にははるかに技術が上の選手もたくさんいて今回メダルはちょっと無理らしい、頑張っては欲しいが」…など。 そしてメダル獲得後のメールでは「平野くんの噂は国内よりも海外の選手から高い評価を受けていたようだが、オリンピックという大舞台で大きなプレッシャーを撥ね退け見事銀メダルを獲得したことはとにかく「立派!」の一言につきると思う。」 久々の好天に恵まれた2月12日新潟日報の号外も配られ、市役所の庁舎に「平野さんおめでとう」の垂れ幕が掲げられた。市場で賑わう買い物客も良かった「良かった」の挨拶が行き交っていた。村上発展の大きな一歩になることを心より願っている。 |
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東京村上市郷友会幹事 佐藤 勝 |
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