http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2014年11月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.161



村上城賛歌



斎藤 秀夫
(さいとう ひでお)
山梨県甲府市生まれの東京育ち。東京都新宿区在住。
著書「男たちの夢-城郭巡りの旅-」(文芸社)「男たちの夢-歴史との語り合い-」(同)「男たちの夢-北の大地めざして-」(同)「桔梗の花さく城」(鳥影社)「日本城紀行」(同)「続日本城紀行」(同)「城と歴史を探る旅」(同)「続城と歴史を探る旅」(同)「城門を潜って」(同)



筆者





著書「城門を潜って」





村上城 天守台





春の村上城





お城山から見た村上市街
 二〇一四年の九月二〇日、私は東京村上市郷友会の“鮎を食べる会”に、始めて顔を出した。同会の幹事の一人である細井ミツ子さん(私と同じ東京都新宿区在住)から、誘われたからである。都内台東区にある新潟県人会館で催されたその会合は、最初に平成二六年度の総会が行われ、其の後、待望の懇親会となった。眼の前のテーブルの上には、三面川(村上市を流れ、鮭が獲れることでも有名)で釣られた鮎の塩焼きが皿に盛られており、、乾杯の音頭とともに、すぐに、そのごちそうにかぶりついた。旨い!、ビールのつまみにはもってこいだ。たちどころに二匹ほどを平らげると、左脇に座っている細井さんが、今度は鮎の甘露煮をすすめてくれた。食するのはこれが始めてだが、ビールの肴にはこれもよく口に合った。気分よく酔ううちに、私の口も軽くなり、右脇に座っている男性とも、会話を交わすようになっていた。-趣味は?と聞かれたので、-城巡りです。と私は答えた。-村上城へも、行ったことがありますよ。-そうですか、しかし、あそこには何もない、とその右脇の男性はいった。そこで私は、やや声を大きくして、こう反論した。-何をおっしゃる。村上城には、素晴らしい石垣が残っているじゃありませんか。貴重な遺産が、その地下に眠っているではありませんか・・・。
 それは、事実である。かって村上城は、村上要害とも呼ばれていた。天文二〇年(一五五一)揚北衆(あがきたしゅう=阿賀野川以北の豪族)の一人、本庄繁長が曲輪などを築いたのが、その最初だといわれている。いや、実はもっと古く、鎌倉時代初期、源頼朝から岩船郡小泉庄(現村上市の一部)の地頭職(じとうしき)に任命された関東秩父氏の一族秩父行長(繁長の先祖)によって構えられたともいわれ、時代は定まっていない。だがこの要害は、次ページの「慶長二年瀬波郡絵図」を見れば分かるのだが、屋根は杮葺き(こけらぶき)もしくは檜皮葺き(ひわだぶき)で、土塀のみ茅葺き(かやぶき)となっていた。この村上要害が、村上城へと生まれ変わるのは、慶長三年(一五九八)に、春日山城主上杉景勝(謙信の姉の子)が会津へ転封となったあと、村上頼勝が加賀小松から九万石をもらって入封し、城の大改修に着手した時からである。そのことは「村上城主歴代譜」に、「臥牛山城(村上城)を造功し、其の身は麓(ふもと)の塞(館)に居る」とあることからも確認でき、その時八基の櫓も新設されたと伝わっている。さらに、元和四年(一六一八)に、堀直竒(なおより)が越後蔵王堂(長岡市)より十万石で入府し、城域をさらに拡げ、石垣を構築した。彼が、元和六年(一六二〇)三月二八日に記した書状が現存していて、「本丸殿主(天守)ならびに多聞角々(すみずみ)の矢倉(櫓)の作業、油断なく仕り候様(つかまっりそうろうよう)、大工奉行に申し付けらるべく候」
とあるから、千鳥破風を備えた三重の天守が、写真で紹介した天守台の上に、建てられていたことはまず間違いない。
 以上のように、新潟県村上市には、これだけの歴史遺産が残っているのだ。にもかかわらず、地元の人たち、並びに村上の出身者たちは、案外自分たちの宝物に、気づいていないのではないか、ほろよい気分になりながら、ふと、そんな感慨にひたったりしている・・・。

「慶長二年瀬波郡絵図」(村上市郷土資料館提供)

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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