2014年1月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.151 |
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私の“酒 鮭 人情(なさけ)そしてお祭りの越後村上” |
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私は昭和19年1月1日に旧村上町小町の本屋のおんちゃ(五男坊)として生まれました。中学までは本屋のくせに本を読むのが苦手でした。〈但し漫画は別物) 勉強より町内の遊び大将として、近くの小学校、裏の堀川、お城山、お寺の裏、三面川等遊ぶ場所に困らない村上でのんびりと苦労なく育ちました。 年中ある鮭料理の内、焼き魚を食べた残りの骨を再度網焼きでカリカリにして食べるのが好物で、いつも母に頼んでいました。又、親戚筋に醸造2社があり、酒粕を頂いては火ばちで焼いて食べておりました。そのせいかお酒が大好きになり、中学の時はお酒を隠れ飲みしたことも、特にお祭りでは堂々と? 我家は叔父兄達と新発田商業〈商工〉を卒業した者が4人おりいずれも銀行勤務を経験、私は就職担当教師のすすめで、希望もしていなかった都市銀行に就職となり東京へ。東京での生活は日本全国北海道から鹿児島までの出身者が集まる150名程の独身寮でした。 10年間の寮生活でますますお酒も鍛えられていきました。関東での12ヶ所の転勤では、着任早々にその地の夜の居酒屋で地域情報を得て営業に生かしました。 又先輩同僚との飲みニケ-ションは、失敗、落胆の多い中、多くの方々に助けられ、仕事で大いに生かせたと思っております。 退社後の飲み会で、夜半の帰宅路ではアードスコイ サッサ ト の音頭で気分良く帰宅、ご近所には迷惑をかけた日もありました。 又、退職するまでは夏から秋の休日の夕方には、2階自室の窓から かすかに村上の太鼓、鐘、村上音頭の声が聞こえてきたものです(幻響!)。 ダースケセ、大好きな村上大祭には ワーリケド 何人かの親戚の方々をご不幸にしての休暇届を出して、村上へ向かいました。 関東では村上に縁のある村中、村高等卒業の同期の会が幹事長の菊地秀雄氏(No149号に掲載)のお骨折りにより昭和62年(1987年〉から“関東村中会”として発足。その後“ゆーかり会”として、毎年、新年会、名所めぐり等を企画、開催。 この会には新潟、関西等も含め会員数70名でいつも40名程の参加があります。村上弁での盛大で楽しい会が26年も続いており、現在はご指名により私が会長の役にありますが、菊池幹事長と毎回交代の幹事の方々のご苦労に ワアリノ…です! 今年、古希を迎え そして お祭りの越後村上”に 誇りと、感謝の気持ちで 乾杯です! |
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