2013年9月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.147 |
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先輩に感謝 |
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村高関東支部の同窓会に参加させて頂き、先輩や同級生とお付き合いが始まり村上がとても身近に感じられ大変うれしく思っております。 高校時代は、部活動に夢中で体育館に通っていたようなものでした。そんな自称体育会系と称し、スポーツ大好き人間の私は、今までにどこへ引っ越しても、最寄りの体育館に出かけては、バドミントンの仲間に入れて頂き楽しんで来ました。 22歳で結婚し、大阪へ行った時は、府立体育館に出かけ、即勧誘されて出場したママさんクラブの試合では、学生と間違われクレームをつけられたり、埼玉にきてからは、産休やら子育ての合間をぬっての体育館通いでした。埼玉県は、レディースバドミントンがとても盛んです、地方のオープン大会にも県内から多数出かけますので仙台迄出かけて決勝戦が、埼玉同志なんて事もありました。 私のバドミントン人生の珠玉の1ページが、51歳の時に50歳代の埼玉県代表になり、都道府県全国大会で、当時宿敵だった東京都を破り埼玉県の初優勝を、勝ち取った思い出です。30代40代50代の3ペアによるダブルスの団体戦ですから、パートナーのおかげもあり、50代部門の埼玉予選を勝ち抜き、代表になり奈良で行われた、7月の息苦しいくらい暑い体育館での試合の決勝戦では、私達主婦代表のような50代が、一番大きい声援をいただき、ポイントを取るたびに上がる歓声が耳に残っております。その後に出たバドマガの雑誌には、全国的には全く無名の私は、名前を伊東と書かれてしまいガッカリでした。でも翌年の大会の準優勝で、プレーの写真を載せて頂き娘にちょっと自慢出来ました。 バドも変わりました、ラケットが軽い素材で出来るようになり打ち方やプレースタイルも進化して、ラリーポイント制で21ポイントになり、そして3対3で行うトリプルゲームも公式戦になっています。年齢別試合も70代まで伸びる層の厚さがあります。 バドミントンのおかげ様そして今は、ゴルフのお陰様もあり、沢山の方々とスポーツを通してお付き合い出来る喜びの原点は、村高のバドミントン部活動から始まっています。こうして今だにバドを楽しめる感謝の気持ちを、 高校時代に、お世話になった先輩に、お伝えしたいと思います。先輩方のダブルスプレーの延々と続くすばらしいゲームに感動して見ていた、真黒でコロコロした小さかった1年生 旧姓佐藤です。あのころは、有難うございました。あれからずーっとバドミントンやっております。 |
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