2012年6月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.132 |
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ふるさとの仲間と ~舘腰中学校の同級生~ |
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いつの間にか、ふるさとを離れての生活が40数年以上経ってしまった。「長い」と思う道のりなのか「短い」と感じる道のりなのか自問するたびに、過ぎ去ったふるさと(旧朝日村)での想い出が、一年一年遠ざかる青春を思い出す時、逆に一年一年近くなって来ているふるさとです。誰かが言いました。『ふるさとのある人は幸せです』。そして誰かが言いました。『きっとあなたはふるさとに帰るはずですから』。 ほとんど毎年のように、時季は異なりますが帰省しています。帰省の折必ず一献かたむける中学校の同級生がおります。思い出多い学び舎も廃校となり今はその姿を見ることが出来ません。学校の跡地にたつと、時代の流れとはいえ寂しさとむなしさが交錯します。昔話風の語り口なら「大場沢集落を少しすぎた三面方面に向う道の左側に木造二階建ての中学校があったとさあ。学校の名前は舘腰中学校と言ったとさあ。その頃は生徒もいっぱいとさあ。・・・」 団塊世代最後の年代の中学時代は、本当に生徒が大勢いたというのが第一印象です。 学年3クラス、約120名はいたと記憶しています。当時の卒業後の進路は、高校進学と就職が半々か高校進学が少し多い割合だったと思います。「あゝ上野駅」の歌詞にも出てくる集団就職列車も終わりの頃だったでしょうか。今でも脳裏に鮮明に浮ぶシーンがあります。春まだ浅い三月も末、就職する同級生を見送りに村上駅にいました。夜のプラットホームの薄明かりに、横なぐりの季節はずれの雪が舞っていました。15才の春の別れ、15才の春の試練、それぞれの思い出を胸に頬伝う涙で見えなくなった列車のランプを追っていました。ふるさとへの郷愁と共に忘れられない一場面です。ふるさとは母親に似て、すべてを包み許してくれるそんな場所ではないかと感じております。 帰省するがび会い、呑む四、五人の同級生。皆、一国一城の主であり、奥さんであり職業は違いますが、それぞれの分野で活躍しています。地元に残り地元にその足跡を次代に継いでもらうため情熱をささげています。 「おーつ、元気か」で始まる挨拶もそこそこにまずは乾杯。あとは時間が許す限り酒、酒といつものコース。中学時代のたわいのない話に夢中になり「ああでもない、こうでもない」と話しながら飲む至福の時です。皆んなの笑顔と明るい笑い声があれば何にも要らない。何の遠慮も必要ない。私にとっての最高の仲間に再び乾杯。山紫水明のこの地がふるさとを離れた人々にいつまでも優しい眼差しであります様願わずにはいられません。 『また、会いに帰ります。よろしく」。 |
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