http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2012年12月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.138


船員のがんこ親父に反論、そして一言!!


本間多喜夫
(ほんまたきお)
昭和37年 吉浦小学校卒業
平成23年3月 出光興産(株)定年退職  現在は、卓球、カラオケ、各種の飲み会で多忙? 千葉県市原市在住









JR新橋駅SL広場(筆者)









村上高校の仲良し同級生と(中央筆者)









私の長男(当時5歳)を肩車している嬉しそうな父

 私は、昭和24年7月に村上市早川の実家で、この世に生をいただいた。あの当時は産婆さんに取り上げてもらうのが普通でした。船員であった父が、ちょうど休暇で帰宅していて、「本間家に長男誕生!!」と、そりゃあすごい喜びようだったそうです。
長男は、その家の跡取りと言うことから“宝もの”扱いでした。男尊女卑も甚だしいですよねぇ…
あの当時、上海府村(岩ケ崎、間島、吉浦、馬下…の8村)の男の職業は、ほとんど船員でした。目の前が美しい日本海、貧しくて高校、大学への進学などままならない環境のためか?私の住んでいた早川もほとんどが外国航路の船員でした。父もその例外ではなく,旧制・村上中学を2年で中退させられ、親の勧めるままに船員になったのです。
1年のうち10.5ケ月は、親父不在の生活です。母が親父の代わりです。
でも給料は高く、アメリカのチョコレート、パイナップルの缶詰、バナナ、ウイスキーと
父が帰って来る時は、珍しい外国のみやげで一杯でした。

 なんの不自由もなく中学校を卒業し、昭和40年4月に村上高校に進学しました。確か、上海府中学校からは19人の同級生が入学しました。船員になった人、集団就職した人、看護婦さんと...進路は、さまざまでした。村上桜ケ丘高校を含めて、進学は44人/92人(高校進学率48%)でした。
自分の将来・進路を決めねばならない高校2年生の夏休みの時でした。ちょうど父も
公暇で自宅に帰宅していました。
「多喜夫、どうするんだ?当然、商船大学に進学するんだろう!」と父から言われました。
父は日頃から「船員(船乗り)という仕事は、男のロマンを満たしてくれる最高の職業だ。
真っ青な大海原を突き進む航海は、雄大で、発展著しい工業国・日本を牽引する誇れる男の仕事だぞ!」と私に言っていました。
ですから長男で本間家の跡取りである私を船員にしたかった父の想いは、至極当然でした。
でも私は、幼少の時から1年のうちで、たったの1.5ケ月しか父と会えないいわゆる“母子家庭?”の毎日の生活には不満でした。相談したい時、父が居ない。遊んでもらいたい時、大好きな父が居ない…のが寂しかったのです。

 一生懸命、家族を養うために世界中を駆け巡って働いてくれる父への感謝を感じながらも高校二年生・16歳の私には、どうしても船員と言う職業に就こうとは、決断出来ませんでした。そして怒鳴られることを覚悟して、生れて初めて父に反論したのです。「悪いけど商船大学ではなく、普通の大学に行かせてくれませんか?おはよう、行ってきます。お帰り、ご苦労さんの毎日の普通の生活がしたいのです。私は、化学が好きなので工学部に進学し、将来はエンジニアとして活躍しようと思っています!」と...
その時のびっくりした、少しがっかりした父の顔を今でもはっきりと覚えています。
本間家跡取りの長男が、喜んで船員の道を選ぶと父は確信していたのでしょうね、きっと。
確か、三か月後の手紙(当時は、航空郵便での手紙のやりとりが唯一の父との会話でした!)だったと記憶しています。「進学の件、分かった。君の好きな道に進め。しっかり勉強して下さい!」と承諾と励ましの手紙でした。

 昨年3月、私は38年間勤めた石油化学会社を定年退職しました。もし父が存命なら「多喜夫、良く頑張ったなぁ。長い間、ご苦労さんでした!」と祝ってくれたと思います。
理解あったその父も6年前に他界しました。今は、千葉の自宅に移した仏壇に手を合わせ“笑顔の父の遺影”に話しかける毎日です。

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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