http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2011年8月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.122


兎追しかの山
田宮 治
(たみや おさむ)
旧山北町小俣生れ
村高9回生 
中央大学 
日産自動車 キングオート東京(代表取締役)
関東猪犬猪山彦会(代表)






毎日、毎日休まずやる「つなひき」訓練である。この作業がきっちり出来ていないと山に出て、実戦で見事な戦いは出来ない。一流芸に成る為の基本中の基本訓練。これが出来れば猟師も一人前である。






ライフル100M、10発撃ち。常に射撃場で腕を鍛えておかない事には、いざという時に勝負にならない。大猪は年寄りであろうと、未熟者であろうと手加減してくれない。猪猟はまさに真剣勝負である。






猪犬芸で、最高の噛み止め現場であるが、ここまで出来る様に訓練するのは、並みの努力で出来る事ではない。






一流犬群ががっちり「噛み止めて」くれない事には、撃ち獲れるものではない。元気で、根性がなくては大猪と対決など出来ない。日頃からの体調管理が山を駆ける秘訣である。






関東猪犬猟山彦会を作って、若者達の指導に当たっている。
これは千葉支部の支部長北島君と子供と私。






私が作った「田宮系猪犬」の「仔犬達」である。
猪犬は天性の素質が一番大事。






筆者が連載中の「全日本狩猟倶楽部」発行の「全猟」2011年5月号

 幾つになっても懐かしく想い出して、決して忘れられないのが故郷である。私の原点である生国小俣は120軒(現在は70軒)ばかりの民家が山間に寄り添う長閑(のどか)な集落である。
村内には警察や病院はなく、一番近い府屋駅までは実に2里の道程であったが、その頃の道は細いでこぼこな上、危険な崖続きであり、交通機関もないので、たっぷり2時間もかけ、駅まで歩いたものである。
冬になると、雪で道が塞がり、お坊さんや医者、それと先生などの、この地に不馴な方々が、崖下の川まで落ちて、貴い命を失っている。外来者の入村を拒む様に「小・中学校」の前に聳え立つのが、小俣が誇る「日本国」である。名山と言うよりは、秘境の山里にある事から、この山が持つ由来が、なんとも古めかしくて面白い。その昔、「日本武尊・倭健命(やまとたけるのみこと)」が、景行天皇の勅命を受けて熊襲(くまそ)や蝦夷(えみし)を討つ為に、東北遠征の途中に、この地を訪れ、この山の頂上に立たれた時、その絶景に暫しみとれ感動のあまり「ここも日本国である。」と「雄叫び決められた。」と伝えられる我が生国誇りの美山=日本国である。因みに、頂上からの眺めは実に素晴らしく、2里もある府屋から山形県の鼠ヶ関までの日本海が眼下に広がり、反対側には朝日連峰を遠くに望み、真下の小俣村から中継村を通り「カリヤス峠」を越えて大毎村で7号線と交わる「出羽街道」のところどころが見渡せる「まさに別天地」なのである。
小俣村でもう一つ紹介したい自慢は「白山神社の神木」である。「この大杉」は大変なもので「屋久島の縄文杉」にも匹敵するもので「出羽古道」や、この「村の昔」を堂々と現在に伝え続けている様である。
私はこの神社のすぐ下で、農家の八男として生れたが、当時の世相は大戦の最中であり、作った物は全て供出させられ農家なのに、食うのも困る大変な時代であった。両親は12人兄妹におばあさんの15人もの大家族が生きて行く為に、必死で種々な事を遣っていた。神社の下まで広がる田には家鴨(あひる)、庭内にはニワトリが何拾羽も放し飼いされていて、大きな畜舎には馬が四頭、牛と山羊に羊と豚数頭飼っていたのであるが、これらの動物は何もないこの時代に「卵」や「乳」「毛糸」や「農耕力」となって生活を支えていたのである。基本的にこの村では「自給自足」が「大原則」であった。
どの家でも、学校までもが「生活第一」で、クラブ活動などは皆無で、全てが戦いの中で生きて行く、その為の学習であり、訓練だったのである。当然の様に両親は大家族を養う為に農林業の傍ら2台の馬車で府屋駅までの運送業も兄達とやっていたので子供達で手分けして動物の世話を中心に家事を良く手伝っていたが、遊び盛りの私は良い子で治まる訳もなく、学校から帰るとカバンをぶんなげ、気の合う2~3人をひきつれていつも山や川で遊んでいた。
春は小俣川の清流に集まる鯎(うぐい)の産卵を狙い、まだ雪どけ水のつめたい中で夢中で鯎を突き捕ったものである。これが川開きの様なもので、追う様に上がって来る春鱒(ます)や、この清流に住む尺岩魚(しゃくいわな)や山女、そして夏中楽しめる鮎の「ひっかき」であるが、秋の始まるまでは一日中もぐって何十匹も捕っていた。体が冷えると、鮎を焼き食べる事で元気を取戻し、毎日楽しんでいたものである。
そして、秋鮭が遡っで来る頃になると、我が家の生活ががらりと変わり、父や兄達は「プロのハンター」となるのである。農作業も11月1日からの村祭りを境に兎やヤマドリ、テンや熊追いの毎日となるのである。私がどんどんのめり込むのが、この犬達と協力して行う狩猟であった。小学校3年生位から父や兄達の後を追っていて、大自然の中でその技術を叩き込まれていた様で、中学生になる頃には雪の中での「兎追い」は一流になって居て「鳴り三年」と言われる「兎を追い出すどなり声」まで、父や兄達そっくりになっていた。
特に兎、ヤマドリとテンやイタチの罠は、猟果を高め、大金を稼ぐ秘技になっていて、当時ではイタチの皮一枚が千円にもなったものである。
当然の様に中学生の私と兄は父が仕掛けてくれた罠20機位の見廻りを担当し、毎朝2時間位、野山を駆けまわっていたが獲物が掛かっていると、嬉しい反面、さあ大変で、その取り込みに時間がかかり必ず学校には遅刻するのである。
しかし、この頃の学校は全て家事手伝いが中心であり、この村で生きる為の勉強で、基本的には勉強等と言うには程遠いのが現実で、小学校では「1~2年生」「3~4年生」「5~6年生」が一緒の複式授業で、中学になっても「1~2年は一クラス」であり、やっと3年生になってから「一学年一クラス」になったのである。
そんな訳だから、この村から「村高」を狙うとなると1番であってもなかなか合格せず、まさに「村高から東大を狙う様なもの」であった。
そんな事だから村高に入っての学力は見るべきものは何もなかったが、兎を追って野山を駆けめぐったお陰で人並みはずれた体力と絶対に諦めない根性で1年生の時の全校で行った瀬波廻りのマラソン大会に3位になったり、運動会ではクラスの応援歌を作り、自らは砲丸投げで優勝したり、クラブ活動ではバレー部のスパイカーとして下越大会で「新商」と決勝戦も戦ったし、小国大会では優勝もしているが、村高時代の楽しさや、その時代の様子等は郷友諸氏の良く知る所であり、先達諸兄が記述している事なので、私はあえて村上高校時代の事はパスしてまで、この機会をお借りして「生きる為の基本」の様なものを書いて見たかったのである。
今でこそ県境の番外地も村上市となって、あの崖続きの道も塞いでいた「日本国」に大穴を開ける事で難なく秘境に行ける様になった。村高までは4時間もかかったあの頃が、遠い昔となり、まるで嘘の様だ。私はすでに74才になったが、子供の頃、この番外地で生きる為に、プロの猟師からスパルタ教育を受けていた。そのお陰で東京に出てからも犬達を飼い続け「趣味こそは一級たれ。」との思いで、大切にして生きて来た。
何も無い村で培った「負けてたまるか!!」との「ど根性」に「質実剛健」の「村高魂」に火をつけて、職場(日産自動車でも課長として頑張れたし)でも、自営業の車屋でも十分に成果を上げてやって来たつもりである。
特に村高時代の郷友の絆を大切に不馴れな大都会を生き延びて来たと感謝しいる。
ここでお伝えしたい大事は「どんなに年を重ねても故郷や郷友は忘れない事」であり、「生きざまをきちっと持って絶対に諦めるでない。」という事である。
この年になってつくづく思うのは、年取って趣味一つ持たない淋し過ぎる人達の多い事である。そんな只のクソジジイにならない為にも、私は故郷で覚えた猪猟に使う犬達を50年間もかけて「作り」「育て」「訓練」して来た。今では百頭以上を川崎の犬舎で飼っているが、皆素晴らしい「一流猪犬」として完成している。
やっとの事で目標が敵った「何処に出しても恥かしくない猪犬。」として全国に不動の地位を築きつつあるが、あと一踏ん張りして、俺が作った名犬群を「田宮系猪犬」と銘打って全国に紹介し広めて、勝負を挑み続ける事で、更なる「高根の月」を「追い求めたい。」と思っている。
因みに、この挑戦の様子は「全日本狩猟倶楽部」発行の「全猟」誌に毎月連載で「実戦での戦いぶり」や「私の猪撃ちの極意」から「若者達に指導している体験記」が事こまかく、有りの儘に記述されているので、村上市の猟友諸氏ならば良く知るところである。
そんな訳で、私は自分の「持ち味」を大切に「これならば絶対に負けない。」との強い信念で、【我ヶ体験の道」を「堂々と押し出し」「大事な道を示し続けてさえ居れば」「若者達は必ずその事を後世に繋いでくれる」と信じている。
この年になっても、若者達の先頭に立って「猪猟の頂点」を目指し頑張っている今が、一番楽しい時の様である。何とも幸せな事ある。

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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