2011年5月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.119 |
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気がつけば、村上ファン |
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東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。一刻も早くふる里が、復興されます事をお祈りいたします。 この鮭っ子リレーの様にふる里を思う気持ちは誰でも同じだと思います。ましてや自分の意思に関わりなくふる里を離れなければならなくなった時は、想像を絶する辛さだと御察し申し上げ、このリレー随筆を書かせていただきます。 東京育ちの私には、ふる里の有る方が羨ましく思えたものでした。でも40年前に、初めて新婚旅行として、村上のご先祖様にご挨拶の墓参をしに訪れました。その時は、村上というより新潟県の北に位置する所という、雪国新潟としか、捉えていませんでした。しかし、訪れる度に触れ合う方々の、あまり多弁ではないが、誠実で、親切で、礼儀正しく、内に秘めたエネルギーをお持ちの方が多いと、ついつい魅せられていきました。私のこの様な気持ちに導いてくれたのが主人の父でした。戦争で若くして、村上を離れた為か、何でも村上が一番でした。 お茶は北限村上茶、菓子は笹団子、麩は岩船麩などなど。その中にあって一番の自慢は、塩引き鮭でした。鮭の話しになると、お酒を召しあがりながら、自分の小さい時は鮭を貰いに行った、その鮭のお陰で勉強をさせてもらった。だから自分は鮭の様に最後は村上に帰るのが夢だと。あまり自分には贅沢をしなかった義父ですが、村上にいる時は急に大盤振る舞いになります、そして「お金を使うなら村上で」といっておりました。 何の御縁か判りませんが、私水産増殖学専攻で、新入生ガイダンスの時、鮭の産卵映画上映で涙する学生の一人でした。その時まさか、世界最古の魚の増殖の発祥の地と御縁が出来るとは夢にも思いませんでした。 塩引き鮭のつながりで、この鮭っ子リレーを知り、多くの諸先輩方の素晴らしい思いを全部読ませていただきました。そして、このリレーを読んで、私も何かお役に立つ事は出来ないかと思い、古布で作る塩引き鮭コンテストなるものを催し、物産や観光パンフなどを来場者様に配布させていただきました。 私としたら、あの町全体の軒先に鮭が吊るされている風景が、古布の鮭で復活させたら、観光的にも村上をピーアール出来るのではと思っての事です。まだまだ村上をご存知でない方もいるので、一人でも多くの方が村上を愛して下さり、この地を訪れて下さる様、村上地域経済活性化応援団勝手連として、周知に努めたいと思います。 末筆になりましたが、塩引き鮭けコンテスト及び高円寺大演芸祭(村上町屋の人形さま巡りと郷友会周知活動)の折には多くの村上の関係者の方々にお世話になりました事を深く御礼申し上げます。 |
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