2011年2月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.116 |
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戦争花嫁あれこれ |
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戦後、進駐軍の兵士と結婚し、渡米した「戦争花嫁」との直接的なかかわりを持つようになって30年以上になります。村上には確か川村さんという方が米兵とご結婚なさり、ご主人の除隊後、お城山の麓に家族で移り住み、ご自宅でご主人が英語を教えていて、私の兄(信哉)も中学・高校時代に習いに行っていました。当時村上ではご主人は「アメリカさん」と呼ばれていましたが、その後一家でオレゴン州のポートランドに引越しなさりました。 私は都内で5年間、高校の英語教師をしていましたが1976年にアメリカに留学し、文化人類学を専攻しました。夏休みなどの長期休暇には隣州にあるロサンゼルスに行き、肴町出身の長島昭さんに大変お世話になりました。そして長島さんのご助言で「ピアニスト募集」の広告記事を読んで応募し、オーディションを受け、ピアノバーで歌の伴奏などをするアルバイトをしました。当時はカラオケが普及していない時代でしたので、日本人・日系人のお客さんが7割程度を占めるピアノバーでは、演歌、ポップス、スタンダードジャズ、民謡、果ては詩吟までリクエストが飛び出し、その伴奏やソロを演奏しました。 ロス近郊のロングビーチでも休暇中にピアノバーでアルバイトをしましたが、そこで戦争花嫁のお客さんと知り合いました。チップを含めると当時のアメリカでは大卒の初任給よりも多く稼ぎ、学友からは羨ましがられました。彼女一家との家族同士のお付き合いは今でも続いています。彼女との交流から、後年「本格的に戦争花嫁研究をして、彼女たちがアメリカの土となって頑張って生きてきた真の姿を多くの人に知ってもらいたい」と思うようになりました。 拙著『アメリカに渡った戦争花嫁~日米国際結婚パイオニアの記録』(明石書店、2005年)で共著者の戦争花嫁の会の元会長のスタウト梅津和子さんが美智子皇后との交流について4編ほどエッセイを書いていましたので、誤記があってはならないと思い、濱本松子女官長さんとコンタクトを取り、最終的には皇后陛下ご自身が修正箇所を赤字で修正して下さりました。その後、現在に至るまで女官長さんを通して、花嫁さんたちの近況報告や彼女たちから預かったものを皇后様にお渡ししてもらっております。2009年12月にはJICA横浜・海外移住資料館での「海を渡った花嫁物語」の企画展に皇后陛下のご行啓を賜りました。満面笑みを浮かべて「ようやくお会いできましたね!」という皇后陛下の第一声には感激いたしました。展示会場でのご説明後、別室で懇談する機会を得ましたが、その時のお優しいお言葉の数々を胸に、これからも彼女たちのサポーター役として、ライフワークの研究を進めたいと思います。 |
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