2010年9月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.111 |
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瀬波海岸で元気をもらう |
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成田空港まで30分ほどのところに住んで40年になる。空路の充実で、いまは生家へ行くより時間のかからない外国の都市はいくつもある。 68年前、関川村で生まれた。当時は女川(おんながわ)村といったが、交通事情などを思い起こすと、小学生の頃の距離感覚というのは、自分の家から下関まではソウル、坂町が北京、村上にいたってはパリほどに遠かった。 初めて村上へ行ったのは、何時だったのか。記憶のうえでは、小学4年か5年の頃、家に下宿していた斎藤先生に瀬波海岸へ連れていってもらったのが最初であった。そのときにご馳走になったかき氷が、いまなおこれまででうまかったもののベストワンとなっている。 それ以来、瀬波海岸は地元の光兎山(こうさぎさん)や女川と共に安らぎを得られる大切な場となった。砂浜に座って海を見つめているだけで十分。それにしても夕日の美しいこと。瀬波海岸で元気をもらった日々が目に浮かぶ。 村上高校の3年間は、飯野の細越さんの家にお世話になった。恵まれた下宿生活なのだから無遅刻、無欠席は当たり前だと思って通学していた。幸いなんとか目標を達成できたが、大学に入ってからも遅刻しそうになる夢を何度も見た。下宿の隣室の音楽の先生は毎週、「週刊サンケイ」(その後「週刊SPA!」に誌名を変更)を読んでいた。新潟県下で高校の社会科教師になろうと思っていた自分が、のちにこの雑誌の編集長になるのだから世の中というのはわからない。 先年、姉夫婦の案内で城下町村上に伝わる雛人形展を見た。そのとき、小国町の九重園に立ち寄った。初めて入った九重園であったが、この老舗もかかわる思い出がある。 平成3年の夏、大阪本社編集局長のお供をして初めて東大阪市にある作家の司馬遼太郎さんの家を訪れた。司馬さんは産経OBなので初対面の堅苦しさはまったくなく、私が村上高校の出であることがわかると、すぐに村上藩の話を始めた。司馬さんは博識でとにかく話が面白かった。 東京に戻って、すぐ村上にいる同級生に手紙を書いた。「村上の極上のお茶を司馬さんへ送ってほしい」と。そのあと、司馬さんに礼状を書き、「村上の茶をお送りしたいと存じます。これは北限のお茶でございます」と付け加えた。折り返し司馬さんから返事が届いた。「北限のお茶を下さるそうで、楽しみにしています。お茶は、江戸時代を特徴づける文化ですね」とあった。 同級生が送ったのは、九重園のお茶。おいしいお茶のおかげか、のちに司馬さんにインタビューする機会を得たのであった。 |
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