2010年8月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.110 |
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動く歴史絵巻「村上祭り」 |
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私は昭和36年、生れ育った故郷、村上の久保多町を離れた。早いもので既に半世紀も経過した。この間、仕事の関係で県内を中心に、長野、東京など、12回も転勤した。特に、単身赴任の佐渡と上越では、時間的な余裕もあり、その地域の歴史や文化に直接触れ合い、その奥深さを目の当たりにした。 平成21年度NHK大河ドラマ「天地人」の放映が決まった時は、新潟市でも歴史作家や郷土史研究家を招いた講演会が開催され度々参加した。ある講演会で、「直江兼続より堀直竒の方が話題性もありドラマとしては面白い」と言う興味深い発言があった。 堀直竒は秀吉の小姓として頭角を現し、長岡藩主時代は「新潟の町建」を行い、現在の新潟市の町並みや湊の基盤を築き、その結果として幕末には開港5港にも指定された。 村上藩主時代は、城下町の本格的整備に着手した。その折、お城から羽黒神社を見下ろすのは甚だ畏れ多いとして、現在の場所へ遷宮(寛永10年:1633年6月7日)された。この時のお祝いが羽黒神社の例大祭、村上祭りの起源と言われている事は周知の通りだ。羽黒神社は本庄繁長が、庄内地方制圧(天正16年:1588年)に向かう折、出羽の羽黒山三社権現に必勝祈願をし、凱旋の折にはその分霊を勧進し村上の総鎮守として今の庄内町に祀ったと言われている。また、後に、本庄繁長は上杉景勝から「武人八幡」と称号された事などもあり、以来歴代村上藩主からは羽黒神社も村上祭りも手厚い保護を受けたとの事。祭列は、本庄繁長が凱旋する武者隊「荒馬」を先導役として、羽黒三社権現の御神霊を奉遷し巡行する三基の神輿(藩主の寄進、一基千両とも)、これに各町内自慢の19台の屋台が続く。正に、史実に基づく「動く歴史絵巻」とも言える。長い時を経て今日の勇壮にして絢爛豪華な祭りへと進展して来たが、村上地域の産業・文化振興に与えた影響は計り知れない。 故郷を離れたとは言え、私にとっては村上祭りだけは特別の日だ。事情の許す限り毎年久保多町屋台の曳き手に参加している。そこで、久保多町の祭りに関わる自慢話を紹介する。理由は兎も角、一番屋台であることだ。乗せ物は「住吉の景」、大阪は住吉大社の象徴、淀殿寄進の「反橋」を模した物で、堀直竒と秀吉との関わりから推測して興味深い。そして、秋葉神社の樹齢300年以上と言われる「一対の大欅」。神社前の案内板には堀直竒との関わりが記載されている。また、堀直竒の江戸における数々の逸話や、秀吉、家康、そして村上歴代藩主との関わりに思いは尽きる事がない。 村上祭りは、深い歴史を背景に、先人たちの祭りに対する熱い思いと、磨き抜かれた匠の技が郷土の歴史として育まれ、今日に至っている事を再確認する絶好の機会だ。 昨年、私は「曳き手目線のビデオ撮影」に挑戦した。7月7日、暁の頃、一番屋台の久保多町だけが演出する祭り最大の見所「小町坂の坂かかり」をはじめ、祭り一色に染まった村上の「歴史絵巻」の一端を収録した。パソコンのマニュアル片手に編集を試み、本誌「鮭っ子物語」NO.94で投稿された同窓生「飯島強」氏に試作版DVDを提供した。これが口コミとなり多くの同窓生はもとより、村上市、新潟市、関東方面在住の方々からもリクエストが寄せられ約200枚をコピーした。故郷を思う気持ちは年を重ねるごとに身近なものとなり郷愁の念も募りますが、このDVDが少しでもその思いを癒す事に役立てたのなら幸いと思っています。 |
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