http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2010年5月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.107

「ふるさと 村上」
町田 信
(まちだ まこと)
村上小学校・中学校・高等学校卒業
元浦和市立の中学校社会科教諭
さいたま市緑区在住







堀片にあった孵化場
(父がその管理にあたっていた)
※この写真は拡大されて以前「いよぼや会館」に展示されたいた







旧寛永寺(上野)を案内する筆者
この映像はNHKニュースで流された








公民館で歴史を語る筆者

 昭和34年、村上高校を卒業して浦和市(さいたま市)へ移り住んで、すでに50年が過ぎた。私は昭和15年に浦和市で生まれ、戦争が終わった翌年の21年の夏、父の郷里である村上へ転居した。
 焼けのこった上野駅には浮浪児がおり、夜行列車を待つ人々から食物をねだっていた。確か母がわずかな枝豆を渡してやっているのを記憶している。朝の車窓から見える風景は緑一面の田園だった。小さな駅に着いてから、父の兄の家へ行って丼に盛られた白米をご馳走になった。
 父は旧村上藩土永久保家の三男で、鮭による奨学金を受けながら旧制村上中学校を卒業し、陸軍士官学校へ進み軍人となった。
 戦後、村上では「鮭産育養所」の仕事をし、しばらくして組織が変わり「村上鮭産漁協」の組合長になった。現在の「いよぼや会館」の近くにあった事務所へ行ったことがある。戦中、戦後の時期、孵化放流や種川の保全が充分でなかったこと、川の水質が変わったことから鮭は不漁が続いたと後に知った。
 鮭の上る川、三面川は関東の人たちにも知られているが、私たちには水泳を覚える絶好の場であった。年長、年少が連れ立って行くが、泳げないものは参加できなかった。小学5年のとき、初めて背が立たない淵を横断して自信をつけた。水中メガネをつけて潜水すると、アユ、ウグイ、コイなどの魚影があり、中学生になって鍛冶屋でヤスを作ってもらい、魚を迫いかけた。また、ゴロと言うアユ釣りに挑戦したが、仕掛けをとられて上手くいかなかった。
 四季折々、遊びを見つけては過ごした。冬お城山の七曲がりでのスキー、夜になると凍りつく町中の道路で、下駄スケート、長靴スケートで走り回った。
 中学から高校へ、勉強はあまり得意ではなかった。唯一、社会科が大好きで地理や歴史に興味をもった。高校三年進学か就職か迷ったが、東京へ出て教職につけるよう勉強しようと思った。幸いにもその機会に恵まれて、昭和39年に埼玉県公立中学校の社会科の教師となった。
 浦和市内など5校で、学級、教科、部活動で多くの子供たちと出会った。勤務した学校の校区やその近くに住んでいるため、子供を連れた卒業生たちに会う。昔と変わってないと世辞を言われるが悪い気はしない。
 個人的な研究では、縄文時代の考古学に深入りし、昭和49年に日本考古学協会に推挙された。今でもその方面の書を読み、遺跡の探訪を続けている。
 退職後、地域の役に立とうと、公民館に勤めながら歴史や考古学の講義を始め、退職した後も今日まで続けている。旧浦和市(今はさいたま市)の公民館8館で定期的に話をしている。今年は「幕末の武家社会を生きる」(4話)「地下から表れた江戸時代」(4話)「話題になった古代史の謎」(3話)など。
 歴史の話をするためには、その資料や図書などを探して話の筋書を考えねばならない。結構これが楽しく、いつのまに自分の趣味になってしまった。出席する方々は私と少し年下か同年の方が多い。高齢化社会に入っても学びの場を求める人はいる。私もあと数年は頑張ろうと思っている。
 昨年、所属する文芸同人誌に「ふるさと村上を巡る」と題して、歴史エッセイ原稿30枚を書いた。村上の人からも感想を頂いた。村上に対する想いはまた深くなった。

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
「鮭っ子物語」バックナンバー 
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次回予告
田中 秀明
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