2010年4月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.106 |
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「オレゴンから愛」 |
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1992年、愛する妻と1歳の娘を連れてオレゴン州ポートランドに滞在していました。広々とした国土、日本でのもろもろのしがらみからも離れ、開放された気分でした。特にオレゴン州は自然が豊かで、「オレゴンから愛」というテレビ・ドラマの舞台になったところです。出張も終わりに近づいたころ上司から連絡があり、さらに3ヶ月延長して別のトレーニングも受けるようにとの指示でした。私も愛する妻もさらに滞在できることをとても喜びました。ある人からさそわれて、愛する妻はバイブル・スタディーに行くようになりました。子育てについて考えていた彼女にとって、毎回その答が与えられる聖書の学びだったそうです。そのうち、日曜日の朝には子供をつれて教会に行くようになり、私は一人寂しくアパートで待っていたました。そんな私に大きな試練がやってきたのです。上司が変わり、突然一週間後に帰国せよとの指示でした。前の上司が許可したトレーニングは一ヶ月も残っていたので、その間にこの数ヶ月分の仕事をまとめればいいと怠けていました。この罪責感と恐れ、そして怒りが大きなストレスとなって襲ってきました。胃の痛みはこの一年余りで3回目でした。前回、胃カメラの検査を受け胃の中で出血している様子を見ていたので、同じことが起こっているとすぐに理解できました。こんなことを繰り返していたら、そのうち胃ガンになり長く生きられないだろうなと思いました。原因は自分の精神的な弱さにあり、薬では一時的な解決にしかならないと分かっていました。何とか助かる道はないかと苦しんでいるとき、愛する妻がもらってきた聖書を手に取りました。 「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」マタイ6章34節。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイ11章28節。少し気持ちが楽になる言葉でした。しかし、この聖書に書いてある常識を超えた内容を受け入れることは簡単ではありません。固有名詞であるイエス・キリストを神として受け入れることはできない。奇跡の話を信じられない。溺れるものはわらをもつかむと言いますが、教会の牧師さんをたずね、たくさんの質問をしました。そして、得た結論はイエス・キリストが本当に神様なら全て可能であるということです。今、思い起こしてみると十分理解していたとは言えないのですが、牧師さんはもう一度話してくれました。全ての人は罪人であり、最大の罪は真の神を神として認めないこと。神は正しい方であるから、その罪をそのままにして人を赦すくことはできない。そこで、罪を犯していない一人子イエス・キリストを地上に送り、身代わりに十字架につけ、私の罪を赦してくださった。そして、三日目に復活し今も生きて働かれている。このことを自分の口で告白し、牧師さんが祈ってくれたとき、心の中に平安がやってきました。思い煩っていた事が、もうどうでもいい事に思えました。新しい上司に素直な気持ちで残りのトレーニングが重要であることを伝え、それでも返って来いというなら帰りますとFAXを送りました。不思議なことですが、戻ってきた返事は必要なだけ居てから帰ってきなさいとのことでした。そして、その週の日曜日に愛する妻と一緒に洗礼を受けることができたのです。これは、たった一週間の間に起きた出来事です。 家族にもこのイエス・キリストの福音を伝えなければと思い、最初に実家の祖母に話しました。そして同じように罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じてくれました。もう十年以上も前のことです。今年97歳の祖母は腰も曲がり、ほとんど横になっている毎日ですが、イエス・キリストを信じたことによって、天国のいのちの書に名前が書き加えられました。地上の生涯を終えて神様の前に立つ日が来ます。そのとき本人は忘れているかもしれませんが、神様はおっしゃるのです。あなたは確かに孫といっしょに祈りました。さあ私の天国に入り永遠に生きなさい。天国では曲がった腰もまっすぐになり、栄光の姿に変えられるのです。たとえ祖母が突然召されることがあったとしても、もう一度天国で会えるのです。 この文章を読んでくださっている方の中には、どの宗教を信じていても死んだ後に行くところは同じだ。または、死んだら全て終わりだと思っておられるかもしれません。人生の最終目的地を電車の駅に例えるなら、東京駅に行きたかったら、東京駅行きの電車に乗らなければ決して行くことは出来ないのです。地上での人生は一時的であり、死んだ後に永遠の世界が待っているのです。永遠に天国で暮らすのか、永遠に地獄で暮らすかのどちらかなのです。宗教(religion)は人が作ったものです。大切なのは真の神様との直接の関係(relation)です。その間に誰も介入することは出来ません。私が信じているのは人が作った神ではなく、人を作った神です。聖書には神様が愛す対象として人間を創造したと書いてあります。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43章4節。あなたが何かいいことをしたから愛される。とか、何か悪いことをしたから愛される資格がない。とは言っていないのです。あなたの存在がかけがえのないものであり、あなたは愛されるために生まれてきたのです。日本のクリスチャンは人口の0.5%ですから、こんな話を聞くのは初めてかもしれません。教会に行くのは善人だと思っているでしょうか、それは全く逆です。自分が罪人だと知っているので、知らないで犯してしまった罪をも許してもらうために行くのです。 日本に24時間放送しているクリスチャンTV放送局があることをご存知でしょうか。CGNTVといいます。インターネット(http://japan.cgntv.net/)でも見られますから、一度クリスチャンの世界をのぞいてみてください。日本各地の教会を訪れることも出来ます。その中で二つの番組をご紹介します。 1.ラブソナタ・名古屋 (クリスチャン韓流スターもたくさん出演している伝道集会、冬ソナのチェ・ジウさんも映像で出演しています) http://japan.cgntv.net/sub.asp?pid=2299 2.大和カルバリーチャペル。大川牧師は日本を代表する説教者です。 http://japan.cgntv.net/sub.asp?pid=2306 最後にもうひとつ聖書のことばを書き添えます。私がくじけそうになったとき、不安に陥ったとき、勇気を与えてくれる言葉です。「強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」ヨシュア1章9節。 |
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