http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2010年3月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.105


「私の昭和の記憶と追憶」

中川 昭二
(なかがわ しょうじ)
1939年生まれ。西神納小、慶応義塾大学文学部卒業。衆議院議員秘書その後市議会議員、副議長、議長 現在社会福祉法人多摩育児会理事長代行






昭和27年小学校卒業時
(最後列右から3番目筆者)






出版記念会で孫から花束をもらう「筆者」







出版した本をかざして「筆者」

 私の人生は記憶と追憶の積み重ねの中で昭和、平成時代七十年間生きてきた感があります。改めて記憶と追憶を想い起こして昭和時代を振り返ってみたいと思います。辞書では「記憶とは、体験した事や覚えた事を忘れない事」一方「追憶とは、過去の事や亡くなった人の事を思い出して懐かしむ事」と記されています。私の「昭和」其の人生を振り返り回想した「記憶」の中で一番鮮明な事は私が六歳の時の「第二次世界大戦」時の戦争体験であり、日夜の生活状況出来事だと言わざるを得ない。私の生まれた処は合併して今は村上市になったが神林村西神納です。農家でありながら食料は不足し「芋か大根」はた又「木の実」「笹の実」等を食べて育った事が思いだされます。夜は夜で「灯火管制」の為電球の周りに黒いものを張り「光」が拡散しないよう即ち敵機の襲来に備え、毎日生きた心地のしない状況の中で毎夜を過ごしたのです。昭和二十年の三月頃から近くの「坂町機関区」への米軍機の機銃掃射と爆弾投下の中、家族中で逃げ廻った事を今でも昨日の事のように鮮明にそして強烈に記憶しています。「追憶」としては環境や風景、風習の追憶がふつふつと蘇えってきます。私の育った処は神林平野の田園地帯です。一面田圃の中に点々と村が存在しておりました。のんびりした田舎の生活を満喫して育った訳です。しかし自然は厳しいものがありました特に、小学校への登校に際しては毎日一時間位かけて歩いて登校していました。冬は雪が五十センチもの積雪があり特に新雪の時は六年生がラッセルしながら踏みしめて引率し登校したものです。この事を通じて上級生が下級生の面倒を見る事やいたわり合いを自然に身につける事を覚えたと感じております。又自然環境の面から考えると「四季」の移り変わりが春夏秋冬に合わせて植物の生育がありそれらを目にする中で植物の生態が解かるようになった気がします。しかし何よりも私の「人生」いや「生き方」に対して影響を与えた点としては当時の農家の実態です。稲作一辺等の農業は重労働と低収入でそれ程豊な生活を送っていなかった事です。私はその様な生活から脱するには「農家、農民」の意識向上と改革が絶対必要と考え中学生の頃から「4Hクラブ」公民館活動に参加し「生産性向上や経営意識」の取得の為に各種活動に参加した訳です。そんな活動の中から私自身が「変革を起こす立場」「人間」にならなければならないと思い始めたのです。其の具体的姿、形は「教師、政治家」になり「農家の生産性向上や経営改善」を伝授したり実戦活動を通じて「農家の豊かな生活」を勝ち取り「貧困からの脱脚」を計り現状を打開しなければと思い其の一助と考え大学進学を決意した訳です。其の後多少の紆余曲折がありましたが今日まで政治の世界で農家を含めて、地方の発展を願って地方自治の振興の為に活動してまいりました。
幸い今迄の中央集権から地域主権への動きがありますが「道]半ばです。これからも微力ですが地方の振興の為活動する覚悟です。
この事を決意表明し「私の昭和の記憶と追憶」をおわります。

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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