http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2009年8月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.98


ふるさと―食べ物あれこれ―

谷口 ミサヲ(旧姓横山)
(たにぐち みさを)
昭和30年 瀬波小学校卒
昭和33年 瀬波中学校卒
昭和36年 村上高等学校卒
昭和41年 奈良女子大学卒
昭和42年3月まで東京の目黒区にある八雲学園高等学校に勤務
退職後、子育てをしながら塾で数学を教える
平成13年より神戸家庭裁判所で調停委員をして現在に至る
昭和53年頃からテニスを始めたが5,6年前より膝を痛めてからテニスをやめ、現在はゴルフとピアノ、ソーシャルダンスでアンティエイジングに努めている

現在川西市在住
















上野で開催の同期生の観桜会
もう10年も前です。前の左端が筆者













昨年の暮れからお正月にかけて夫とエジプト旅行
歴史と人間の偉大さに感激
朝日に輝くアブシンベル宮殿が神秘的でした













この5月10日~19日までベニスでクルージング船に乗り、イタリアとギリシャの島を巡り、最後にクロアチアのドブロブニクに寄港しベニスに帰ってきました。新潟への山菜旅行を経て、昨年は中国のアモイ、コロンス島へ、がぜん4人での海外旅行に自信をつけて、一挙にクルージングとなりました。
イタリアのアルベロベッロにて、右から2番目が筆者










同級生加藤(渡辺)ミチさんのお世話で、ゴルフをする人ならだれでもが一度そこでプレイしたいと思う川奈ゴルフクラブにて同期生の伊藤君、板垣君、上野君ご夫妻と。因みに私の夫も加わり6人でプレイ。
ひとは方言や、山や川、海等々に、ふるさとを懐かしむ。私もその例に漏れず、外国へ旅行した折でさえ三面川、お城山、雪を抱いた朝日連峯の山々、日本海に沈む夕日や大波渦巻く日本海を思い起こしている。先日は藤沢周平著「漆のみの実る国」を読んでいて「けなるい、けなりい」という言葉をみつけ涙がでるほどなつかしくなった。
村上にまつわることが私の心にいっぱい押し寄せてくるが、今日は食べ物を思い起こしながらふるさとに酔うことにしたい。
私は瀬波で19歳まで育ち、ふるさとを離れてから47年にもなるのに、毎日の食事にふるさとの味、匂い、言い換えればふるさとの土と光を求めている気がする。
たとえばきゅうりやトマトを買う時、てんとう虫に食べられてレース状になった葉の影にぶら下がっていたきゅうりや完熟したとまとの匂いが50年も前のこととは思えないほどあざやかに思い出されて、なるべくそれに近いようなものを探して買うようにしている。もっともほとんど裏切られているが。
今から30数年前家族で滋賀県の余呉湖に旅行する機会があった。その旅館で供されたホーレン草に「この味!やっと村上と同じやわらかくて甘いホーレン草にたどりついた」と感激したことがある。そこで気がついたのは、霜や雪に負けずに土の中で冬を越してきた野菜だからこそこの味がでるのだと。人は品種だ、肥料だというかもしれないけれど、わたしは村上と余呉湖地方の共通点である冬の厳しさがおいしさを醸しているとかたく信じている。ある人が村上の種ならば東京でも同じ味の菜ができるだろうと村上で買い求めた種をまいてみたがやっぱり同じ味は得られなかったそうだ。
干物にしてもしかり。母が送ってくれた鯖や鰯、鰈の干物には瀬波の海からの風と太陽が一杯含まれているのでスーパーの干物の数十倍もおいしかったのだと思う。
鮭はもちろん三面川の鮭に勝るものはない。幸いにもふるさとを離れても毎年三面川の鮭を送ってもらえているので鮭のあるお正月を迎えることができている。鮭にプラス村上の酒!飲む事大好き、食べる事大好きの夫と息子、婿殿、そして“いよぼや”大好きの孫たち。家族13人を巻き込んで暮れから正月にかけて村上一色になってしまうのが我が家の恒例となっている。
ふるさとを離れると、少しでも村上のことを知っている人に出会うととても親しみを感じ、ついついお国自慢をしてしまう。森の石松じゃないけれど「酒飲みねえ、鮭食いねえ」と、酒や鮭を宣伝し、贈り物をするときは迷わず村上の鮭と酒と決めている。
お国自慢のもうひとつはお米。「白いご飯だけでしあわせ」との私の少々誇大な宣伝に同期生飯沼氏の岩沢農場産米の根強いファンが私の住む川西にもいる。
山菜の味を知ったのは夫の転勤で3年間長岡にいた時である。四季折々の野菜を畑に作っていたので母は山菜を採りには行かなかったのか、にが味のあるものは好きでなかったのか子供の頃はあまり食べる機会がなかった。ところが長岡の夫の同僚がよく採りに行き、やまうど、わらび、かたくり、たらの芽、木の芽などおすそ分けにあずかり食べているうちに、山菜大好きになってしまった。自分が好きなものは人にも勧めてしまう私の癖で、またひとつお国自慢が増えた。その影響で友人が「山菜を食べに新潟へ連れて行って」ということになり、「新潟の山菜は特別な味がするのですか」「高価な草ですね」など回りから皮肉を言われながら、2年前に調停委員をしている友人と4人で山菜旅行を決行し大好評だった。
おなかをすかせて学校から帰ると第一声が「なんかない?」。さつまいも、じゃがいも、かぼちゃ、枝豆、とうもろこし、柿、いちじく、ぶどう、スイカ、うり、かきもち、あられ等々、おやつのほとんどが畑や庭で採れたもの、手作りのものだった。畑や家のまわりには子供たちのおやつになるようなぐみ、あんず、もも、柿、イチジク、柘榴等いろいろと植えられていた。囲炉裏でかき餅を焼く香ばしい匂いが今でもしてくるようだ。
今考えると.採れたて、無農薬の贅沢なおやつだった。
3人の我が子供たちが小学生のとき、六甲山へ登ったことがある。そのとき出会った山男が、紫に色づいたアケビをもっていた。彼はアケビを数個わけてくれた。家に持って帰り、あの上品な甘さに舌鼓をうち、「芽が出るかな」と種を半信半疑で庭にうめておいたら、ほんとうに芽が出、伸びてきた。川西に家を建てて引越しするとき掘り上げて、新居の庭に植え、棚を作ってあげた。すると棚にからまって大きくなり“ざらんこざらんこ”実ができて、近所や友人にわけてあげるのにおおわらわ。ある年は幼推園の先生をしていた知人から、園生たちがアケビをだれもみたことがないということを耳にして、滋賀県の近江八幡まで持って行ったこともあった。
アケビの木はまだ健在ではあるが近くのキウイにからまっていき、キウイの勢いに負け元気がなくなってきている。対策を考えなくっちゃ。
瀬波から温泉へ通じる海岸は、ぐみとはまなすのやぶが広がっており(今は住宅が建ち並びその面影がないのが淋しい)、私でもぐみやはまなすを採ることはできたけど、アケビは自分ではとった事がなかった。いつも兄の収穫品を貰うだけだった。私は子供の頃からアケビの色が大好きで、アケビにたいして思い入れがあったのだろう。軽井沢の深沢紅子美術館へいったときもアケビの絵の色紙を買い求めてきたものだ。
今は亡き児童文学者石井桃子氏の小説「幻の朱い実」にでてくるのは烏瓜だが私の「幻の朱い実」はチャワンコリン。60年以上も「あれはいったいなんだったのだろう」と思い続けている。
多分5,6歳の頃だったのではなかろうか。季節は秋。当時の子供たちは焚きつけにする枯れ枝や松葉を集めるのが家の手伝いであり、遊びであった。7歳年上の姉が友人達と里山へ松葉拾い(たしか松葉さらいと言っていた)にいくときに私はついていったのだろう。夏はぜのみ(私たちは「あきごろ」とよんでいた。後年夏はぜであることがわかり、命名も当を得ていると感心したものだ。ジャムにすると美味だそうだ)を見つけては「すっぱい」と顔をしかめながらも味わったり、年長から年少まで一緒になって駆けずり回った。あるとき姉から小さな朱い実を確かに「ちゃわんこりん」といって一粒口にいれてもらった記憶がある。山つつじや夏はぜの木の根元に10センチばかりの草に朱い実がなっていた。柔らかく透き通るよぅな朱い実はほんのりあま酸っぱく、柔らかく、その形がとてもかわいらしかった。それ以降はみたことも口にした記憶もないのに「ちやわんこりん」という名前だけは忘れられず、いつも心のどこかに抱き統けていた。先日姉に訊ねてみたら「そんな名前も実も知らない」との返事に、あれは幻だったのだろうか、自信がなくなってきた。
ところが先日神沢利子さんの自叙伝「流れのほとり」を読んでいて、「こけもも」という名を見つけ、もしかしたらこけももかもしれない、とわくわくしてきた。こけももをもとめて神沢さんの育った樺太までも行ってみたい気持になってきた。
「あきごろ」や「チヤワンコリン」があった里山、りんどうやゆりが咲いていた里山、お手伝いとは名ばかりでちゃんばらごっこをして走り回った里山、今はどうなっているのだろう。そこへ行く道さえ定かに思い出せない自分に、ふるさとを離れて過ごした年月の長さとめまぐるしく変わった社会をつくづく思い知らされる。
ふるさとは物理的には遠くになってしまったけれど、老いたからなおさらなのか、特に食べ物にふるさとを追い求める気持ちが増してきたようだ。
ふるさとがあることはほんとぅに幸せなこと。軸足をふるさとの大地にしっかりとつけて物事を考えて生きたいとつくづく思うこのごろです。
 
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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板垣 成也
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