http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2008年9月号

  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.87

どこで暮らしても村上人
佐藤 敦子
(さとう あつこ)
昭和35年 村上小学校卒業
(有)ジャスハウス代表
インテリアコーディネーター






村高3年生 卒業前





アメリカ時代の家の前で





29年前のナイヤガラ


 私達の夫婦は村上生れの村上育ちですが、夫の仕事の関係で、東京 New Jersey Singapore Seoul 東京と移り住む生活でした。私は都合で同伴しない国もありましたが転居は10数回にもなり、楽しい反面、旅人のような落ちつかない生活だったように思われます。その為、最後に暮らす所は村上と、暗黙のうちに互い了解し、鮭が回遊するように故郷へもどり巣づくりをする予定でいます。しかし大好きな町とはいえ、暮らしの再構築には費用、エネルギー、時間、さらに覚悟も必要と気持ちをひきしめているこの頃です。
 夫の転勤にともない27才で移った町は、マンハッタンの対岸にあたるパリセイドパークという美しい町でした。ギリシャ系アメリカ人のオーナーが階下に住み、私達が二階という、恵まれた環境を得ることが出来ました。しかし全く会話が出来ない私は、バスに乗り外国人の為にあるYMCA英会話学校に通いました。そこでの学習方法は、恒文の暗記で中学時代教わった岡本先生の授業と同じ方法の為、ひたすら復習に追われながら学校に通っている状況でしたが、会話力は身についたように思います。なんとか、アメリカ人とも話せるようになり出産を終えた四月のある日、日本から特大の荷物が届き、開けてみると中には、大きな兜、屏風、お飾りセット、こいのぼり、おまけに紋付羽織袴が入っていたのです。孫の初節句を祝う親、親戚の心づかいであり、伝統を守り続ける気持が込められ、離れても、伝えてくれる思いを強く感じ、私もそう生きたいと願った出来事でした。
 又、この頃、幼稚園時代からの仲間である坂爪勝幸君がモンディール副大統領夫人の招聘を受け、ペンシルバニア州の芸術村に来られ、米国に初めて登り窯を造られたのです。
大学生活も終わりの頃、陶芸家を目指す話を聞いていたのですが、その彼がこの地で逢えるとは、しかも陶芸家として国際的に認知され、全米の陶芸家や新人が彼の指導を願う、という事は誇らしく、時々訪れ、村上の事などを語り合ったのも懐かしい思い出です。
 私はその頃、文部省が毎週土曜日に開校している日本語学校の幼児部の教師として仕事をしていました。独身時代、村上幼稚園で働いた経験が役に立ち、子供達に出来る限り、日本の行事や文化を伝える事を心がけ、英語中心で日本語を忘れがちな子供達にどう興味を持たせるか、週一回の仕事に、何日も準備をしていたことが懐かしく思い出されます。
 7年半の米国生活を終え、帰国後は子育てをしながら自分の進むべき道を模索し、小さい会社を作り20年になりますが、その間も村上へは年間5回~11回程帰省しています。故郷が大好きなのはもちろんですが、18歳の時から母の代わりをしてくれた叔母、姉、義母に逢う為でもあります。帰るたびに故郷が変っていない事はうれしい反面、大丈夫なの?と心配になることもありますが、今はそれも含めて村上の魅力なのだと感じています。我々夫婦の帰郷予定は4年後をめざしており、夫は「米を作る。」とはりきり、私は高校時代の仲間が一生懸命町づくりを行っている、その御手伝いが出来たらと願っています。

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

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