2008年6月号 | |||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.84 |
|||||||||
私の中の村上 |
|
||||||||
初対面の人と出会い、少し話が弾むと「どちらのご出身ですか?」と聞きあう事が多い。「新潟県村上市という所なんですよ。」と答えると「?」「三面川の鮭と瀬波温泉で有名で、最近はテレビでも放送されるんですよ。それから雅子様のおじい様の出身地で・・・」この三点をあげると、たいがいの方は「ああ、あそこですか。いい所ですね。」と答えて下さる。 夕日の見える温泉で有名になった瀬波。そして、鮭で有名になった三面川。訪れたという人が多く、嬉しい限りである。 話のついでに、村上の鮭の作り方や干し方が他の地方と少し違うことを話す。例えば、城下町だったので切腹をきらい、腹の部分を全部切らないことや、首をつらず尾を上にして干す事等。鮭料理の事や三面川の鮎の話等でも盛り上がる。町屋再生の事も話すようにしている。 村上は、ここ10年位で、多くの人に知られようになり、有名になったなーと感じる。 村上に住んでおられる方々はもちろんであるが、村上を遠く離れ、いろいろな方面で活躍されておられる方々が村上の良さを広めていかれたのだと思う。 私は村高卒業後、村上を後にしたわけだが、住んでいる時にはあたりまえのこととしか思わなかった村上特有の事柄の中に離れて初めて、また、年を重ねるにつれてその良さを感じる事が多い。 私だけではないと思うが、7月7日の大祭の日が近づくと胸が高まり、子供の頃を思い出す。新しいあつらえのワンピースに、新しいポックリ下駄。嬉しくて朝から落ち着かなかった。 昼頃には、上片町から下片町にかけておしゃぎりが勢ぞろいするので、およばれに来ていた親戚の人と連れ立って見に行った。また、祭りの時位しかもらえない小遣いを持って、小町・大町・安良町にかけて並ぶ屋台のお店を、一日に二回位見に行ったことなどが、懐かしく思い出される。 三年前、何十年振りかで、村上大祭を見た。子供の頃、上からおおいかぶさってくる位、ものすごく大きく感じられたおしゃぎりが、少しだけ小さく感じられた。しかし、夜、提灯にあかりをつけてひいているおしゃぎりは、勇壮そのものだった。一台一台、伝統工芸を生かした朱塗りのおしゃぎりと引く人達を見ながら、伝統を守り継いできた町人町の人達のすごさ、すばらしさを改めて感じると共に、敬意の念が深まる。 子供の頃を思う時、思い浮かぶのは、桜咲く城山もその一つである。石原に住んでいた私は、比較的城山に近かったので、わざわざ裏山から崖のような山道の登り降りを日に幾度も楽しんだ。片栗の花咲く斜面を登ったり、すべり降りたりしたことも懐かしい。あの頃は、家の窓から、城山の桜や、山頂に立っている人の姿まではっきり見えたので手を振ったりした。そんなことがとても嬉しく、楽しい時代であった。 また、今と違い、同じ町内の大きい人達が小さい子の面倒をよく見てくれ、縦割りで遊んでくれた。その中で、自然に遊びの中での約束事等を覚えた。町内中を遊び場にして、おにごっこをしたり、かくれんぼをしたことも懐かしい。 三面川が近かったので家の裏の畑からもいだ、キュウリやトマトを持って子どもだけで山辺里川へ泳ぎに行くという、今では考えられないような時代であった。 兄達に無理矢理ついていき、三面川や岩ケ崎までの遠い道のりを歩いて泳ぎに行った事なども思い出される。 テレビもパソコンも携帯もゲームもなかった時代。 物があまりなく、あまり便利でもない時代に子ども時代を過ごした私は、思いっきり野原をかけ回ったり、夕方遅くまで近所の人達と縦割りで遊び、家族そろって食事をし、昔から伝わる行事にも参加できた。市・町内の行事が楽しみだった時代は、幸せな日々だったと思う。どっぷりと家族とふれあい、地域の人達に育てて頂いた時代だ。感謝である。今、世の中は、これでもかという程便利な時代になったが、それと引き換えに失ったものも多い。 山あり、川ありのすばらしい自然と昔から受け継がれてきた伝統を大切に守ってきている村上。これから先も、ずっとずっと大切に守っていってほしい思うし、益々の発展を心から願い、祈らずにはいられない。 地球規模でさまざまな事を考えざるを得ない時代になっている今、微力な自分にもできる事は何かを考え、少しでも地球を守るお手伝いをしながら生きていけたらいいなと思うこの頃である。 |
|||||||||
|
|
||||||||
|