http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2008年4月号

  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.82

≪三輪真純先生の村上講演と母からの便り≫
稲葉 州治
(いなば しゅうじ)
昭和34年村上市山辺里小学校卒業
群馬県高崎市在住
杜人会、三多摩美術家連盟、会員
三輪真純先生著書刊行会








三輪真純著
いつも笑顔でありがとう
 あせらず おこらず おこたらず
三輪真純先生著書刊行会刊






 
三輪真純先生村上講演
於 岩船広域情報センター






 
三面の里にて
 三輪真純先生ご夫妻と母







(母からの便り)
  「ありがとう 今日は良い日だったみわ先生がわざゝ巳表の里まで来て下れて何十人のなかで私が一番仕合せですね。これもみんなお前さんのおかげありがとう。死ぬまでいい人で居ましょう。ありがとうヽ。美弥子さんニもよくして下れて、死ぬまでよろしく」







 (母シカから野口英世への便り)
  「おまイの。しせにわ。みなたまげました。
・・中略・・わたしも。こころぼそくありまする。・・中略・・はやくきてくだされ。はやくきた。されはやくきくたされ。はやくきて。よのたのみて。ありまする」






 
山頭火句碑を訪れ、
      改めて立派な句碑に驚く。

 

1)三輪真純先生との出会い
 ふるさと村上を離れて43年になりますが、最近村上は近い存在となってきてます。
 もう17年前からになりますが、前橋木クラブという勉強会に参加し、現在はこの会の事務局担当してます。お陰で会代表の三輪真純先生にご縁を頂き、今では人生の師と仰いでおります。
 先生は校長・教育長・助役を永く務め、満93歳の現在も現役の住職を務められており、またこの50年間で約2600回もの講演をやられてます。
 昨年4月には著書「いつも笑顔でありがとう」を自主出版されましたが、木鶏クラブでの講座や一般講演のテープ起こしから編集・校正等出版まで一貫して担当し、この本の三輪真純先生著書刊行会もやらせていただいてます。
 本の編集や出版は始めての経験で大変でしたがご指導くださる方が居られたので仕上げることができました。
 先生は現在も全国講演行脚と学びの旅を続けておられ、有難いことに一昨年からはこの行脚に同行させて頂き、私も多くの方々とのご縁をいただいてます。
 なお、本書は点字図書にも選ばれて、現在「とちぎ視聴覚障害者情報センター」にて点字訳作業が進められております。4月には完成して障害者をお持ちの方や関連施設の方々に全国公開予定とのことでございます。

2)山辺里中学同窓会
 先生の著書の一節に次のような話があります。
「若いときは同級会も年1回だったのですが、60歳を過ぎると1泊となり、70歳を過ぎると一泊ではつまらない、2泊3日にしようということになり、75歳を過ぎると年1回ではつまらない。2泊3日を春秋年2回やれということになり、もう兄弟より親しくなりました」と。
 いつも世話好きな三輪先生が幹事をやられていたそうです。この話しを聞いて、我が山辺里中学同窓会も4年に1回が定例ですが、これでは寂しいと1泊2日を間の年に入れることを提案しましたら、喜んで協力下さる方多く、5年前から毎年続いております。
 幼友達同士の心は直ぐに1つとなり楽しい時となります。山辺里中学は残念ながら統合されてしまいましたが、我々の心の中にはしっかりと残ってます。2泊3日を年2回とまでいくかはわかりませんがこれから仲良く、大切にお付き合いさせていただきたいと思います。

3)ふるさとの母
 母はこの5月には91歳になります。村上市内肴町の三面の里での入所生活で、左の手足が不自由ですが元気にいてくれてます。施設内は車椅子で動けますが、しばらく顔を見せないと「サミシイカラ、ハヤクキテオクレ」葉書が来ます。
 もう入院・施設生活になって何年もなりますが、1~2ヶ月に一度は村上に帰って、気分転換にドライブや自宅外泊に連れ出してます。
 村上の町興しで始めてくださったお雛様巡りや屏風巡りにも何度も車椅子で連れ出してますが、このようなイベントを開催してくださったお陰で変化があり有難いことです。

4)三輪真純先生の村上講演と母からの便り
 昨年7月には岩船広域教育情報センターにて、三輪真純先生の講演会「相縁奇縁-生き方を先人にも求めて」を開催することができました。 
 三輪先生をふるさと村上に案内することになり、最初は中学同窓会の20~30人でのお話し会でもと考えてました。ところが高校の同窓生にも相談しましたら早速に元教育長・退公連支部長の渋谷敏雄先生に話してくださり、渋谷先生の大変なご尽力で200名のホール定員を超える方々がお集まり下さり大盛況でした。
 内容に対しても渋谷先生に良い話しだったと電話がありましたり、中・高同窓の人からも好評でした。
 実は三輪先生の村上講演は母の願いが始まりでした。以前から母に先生の前著や講演録を読んでもらっていたのですが、『いい内容だね、いつか直接に先生のお話を聞いてみたいね』と話していました。
 これを聞いてから2年近く時期を待っていたのですが、先生が87歳になられる奥様と共に夕陽の奇麗な瀬波温泉に行ってみたいと言われ、村上の案内と共に講演をして頂くことになり、母の願いを現実のものとする機会が訪れたわけです。
 先生の今回の著書に『さっちゃんに贈る歌-人生の四季-』という一節もあります。
 「87歳になって同級会に集まったのがたったの3人。女の人が1人、男が2人と3人になってしまった。その最後の生き残りのさっちゃんというおばあちゃんが寝たきりになり、『早くあの世に行きたいよー』としばしば電話かけてくる。こんなさっちゃんに始めて歌『平成枯れススキ』を作って贈られた」という話しです。何度聞いても心に沁みてきます。
 詳細は略しますが、「寝たきりとなったあなたが人様に尽くす道があるとすればニコニコ笑って『ありがとう御座います。お陰様です』というしかないよ。それで嫁さんや介護の人が喜びを感じ、その喜びが返って来たときにあなたの生き甲斐になる」と歌の意味を説明されるわけです。
 このさっちゃんの話しを介護してもらっている母と長年一生懸命世話してくれている兄嫁にも是非聞いてもらいたいと講演当日に会場に2人で来てもらいました。
 また講演終了後、渋谷敏雄先生のご紹介で長谷川勲先生宅を訪れて、山頭火句碑建立のご苦労話や山頭火との句会に参加した当時の郷土俳人の活躍など貴重なお話をお聞きできました。
 三輪先生ご夫婦にはおしゃぎり館、若林家、山頭火句碑、三面川の簗場、堆朱会館等の市内と笹川流れを案内させていただき、瀬波温泉では幸運にも素晴らしい夕陽を見ることができました。
 群馬に帰る日の午前に、三面の里に寄って頂いた先生ご夫妻にお会いした母は顔が紅潮するほど大喜びしてました。
 帰ったら直ぐに届いたのが母からの便りです。たどたどしい文字と喜びのままの文章に、野口英世の母 チカさんが米国の息子に送った有名な手紙を直ぐに思い出しました。
手元にあった本を開いて見るとその文字と感情表現の率直性は本当に良く似てました。
この母からの便りは三輪先生のお陰で授かった大切な宝物です。

5)越後村上は誇るべきふるさと
 この高崎でも瀬波温泉をご存知の方は結構居ますが村上について知ってる方はまだまだ少ないです。
 村上はチョッと考えても、歴史ある城下町、城山、大祭、鮭、堆朱、北限の茶、文人の足跡(芭蕉、放哉、山頭火、晶子等)など沢山ポイントがありますね。
 3月初には私の家の前のギャラリーの常連さんたちと村上お雛様巡りのバスツアーを企画して、地元出身ということで私が案内役を務めます。
 また三輪先生ご夫妻を3月末にお雛様巡り他で再び村上を案内いたしますす。
 身近な所で出来る範囲でふるさと村上のアピールをしていければと思っています。

(追伸)私のブログ『宇宙の香り』でもふるさと村上関連を時々紹介しております。
こちらも検索頂ければと思います。
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

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家田 昌典
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