2008年2月号 | |||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.80 |
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「鮭っ子」なんて知らなかった頃 |
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底まで見える海と瀬列な川、一面の田んぼと緑濃い山々、これほど美しい自然に囲まれた故郷を持っている人は少ないのではないでしょうか。その上、城下町という長い歴史を持ち、「鮭の子」の言葉が表すように学問には非常に意識が高い町、村上。郷土を誇らしげに語れる事は嬉しいことです 「下渡山」(私たち村人は通称「山辺里山(さべり やま)」と呼んでいる)は、山辺里(さべり)から見るのがいい。低いながら稜線が富士山の様に形良く整い、その下に一面の田んぼが広がる。春夏秋冬、辺りはその色を変えて目前に迫り、私を迎えてくれる。 故郷に帰って来ると石川啄木の心境そのものです。「故郷の山に向いて・・・」 従兄の益田智(小町出身)も、帰省するたびこの田園の風景を眺めに訪れています。 昭和34年山辺里中学校に入学。こんなのんびりした田舎に、東京から「津田塾大」卒業の若く美しい先生が着任してきました。「熊倉恵子先生」です。私を含めて生徒は、授業よりもその先生の一挙一動まで憧れの目で眺めていました。今まで見たこともない素敵な”葉っぱ”の形をしたブローチ、ブラウス、ジャンパースカート等。都会のステキな空気を私たち田舎っ子に運んできてくれました。多感な少女が英語好きになったのは勿論です。大きな刺激を与えて下さいました。しかし,ご結婚の為1年間で村上を去られ、大変残念な思いを致しました。私の進むべき道がこの時決まったと思っております。 今も先生はご健在で、町田市に住まわれています。私は生徒に、「英語を学ぶ楽しさが第一」をモットーに教えていますのも、先生から受けた授業の賜物でしょう。 村上高校に入学。英語のグラマーは高橋大二郎先生に鍛えられました。容赦しない質問に答えなくては悔しいと、予習に時間を割きました。「コツコツ」と革靴の音が聞こえて来る度、身構えたものです。大学を見据えた授業だったと、 英文科に進んだ折気が付き、先生に感謝の気持ちを禁じ得ませんでした。 「東京で英語の勉強をしたい」という願いがかなえられ、昭和女子大学(4年制)に進みましたが、寮は厳しいことで知られ、この時ほど両親や故郷が恋しく思ったことはありませんでした。学問もホームシックにはかないません。「ふるさと」を口ずさむと涙が流れ、ゴールデンウイークには真っ先に帰省しました。上野から急行に乗り7~9時間。遠い、遠い故郷でした。今では、我が家から、ドアtoドアで最短4時間半ということもあります。昔とは隔世の感ですね。両親に会うのは今も楽しみです。 このところ、同級会や同期会が開かれ、皆に会える機会が急に増えました。その何と楽しいことか! 東京で「鮭を食べる会」「鮎を食べる会」にも加えていただきました。このような「美味しい会」(?)があることを知ったのは最近です。 私は、大きな鮭にはもう成れないようですが、それでもいっぱしの役には立てるかなー?と思うこの頃です。 |
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