http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2008年10月号

  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.88

親父の一撃 ―ある春の日のできごとー
「下渡山」めざして

佐藤 方直
(さとう まさのぶ )
昭和37年3月 村上小学校卒業
昭和48年10月~昭和49年3月 海外独り歩き
 (ヨーロッパ~中東~インド)
昭和49年4月 村上市立野潟小学校助教諭として勤務
昭和50年4月 新潟県立村上高等学校関川分校
現在:東京都狛江市立中学校校長







5人のグループで撮したも
小学校3年(昭和33年)秋の遠足です
前列右から2人目です













自転車に乗って2人で撮したもの
小学校5年(昭和35年)初夏?
弟と









村上高校同期会で撮したもの
平成20年6月


 村上に帰省したとき、北線道路を走っていると『下渡山』が視野に入る。その下渡山をみると、決まって思い出されることがある。それは、親父に叱られたことである。父にはよく叱られたが、特に強烈に記憶に残っている一つでもある。
 かれこれ半世紀前、私が小学校3年生の時のことである。新学期が始まって間もない土曜の午後であった。天気も良く、片町の上級生たち5・6人といつものように山辺里川の河原で遊んでいた。すると、誰が言い出したか定かではないが、突然、「下渡山に登ろう」ということになった。当時は、下渡山に行くには現在のように近くに三面川に架かる橋はなく、泉町から渡し船に乗って対岸に渡るか、下流に架かる下渡大橋を渡って行くしかなかった。
 天気も良く、みんなで大声でわいわい話しながら、山辺里川の土手を下って行った。泉町のあたりに来たが、渡し船はいなかった。仕方なく「下渡大橋まで行くぞー」とさらに歩き出した。下渡山はお城山と違い、標高が200メートルもあり、また、交通の便も悪く、当時は昼食をもって行かなければならないほどで、片町からはとても3・4時間で帰って来られるような山ではなかったのである(今日まで、私は1度しか登ったことがない。登ったときは、弁当をもって、渡し船を使って行った)。
 三面川の土手をさらに下流に向かって歩き出したが、日が西に傾きだし夕方となり、次第に心細くなってきた。行けども行けども橋は見えてこない。「どうする?戻ろうか?」という声も聞こえてきたが、「行け!行け!」という上級生の言葉に、従うしかなかった。
 太陽が日本海に沈む頃、ようやく瀬波の街が見えてきた。『本当に行くのかな』と誰もが思い始めたとき、「戻るぞ、家に帰るぞ。」の声が聞こえてきた。「誰か道知ってるか?」の声。私は、この頃母が瀬波中学校に勤めており、何度も母に付いて行ったことがあったので、道は何とか知っていた。「この道を降りると、瀬波中学校に出るよ。学校からまっすぐ北線道路に出れば戻れるよ」と言った。「じゃ、それで帰るぞ」と、土手の道を降りた。内心、『中学校に行けば母がいて、一緒に帰れるかも知れない』という期待もあった。
 中学校に到着し、入り口で声をかけてみた。先生が出てきて、「こんなに遅くどうした。お母さんはとっくに帰ったよ」とのこと。『さあ どうしよう』歩くしかない。
 「遅くなると怒られる奴は早く行け」との上級生の声。「今更何を言うんだ」と思いながらも、下っ端は何も言えない。仕方なく、同じ学年のK君と急ぎ足で歩き出した。『まだ暗くなってないからそんなに心配してないよな。でも、叱られるかな』と、親父の顔を思い浮かべながら、走ってみたり、疲れては早歩きをしたりと、必死に家路を急いだ。
 町内に入ると、仲間のお母さん達が大勢外に出ていた。みんな「マサ坊帰ったか。うちの子は?」と、口々に聞いてくる。「後から歩いて来るよ」と答えながらも、『みんな心配しているんだ。うちはどうだろう』と、私はますます心配になってきた。
家にようやくたどり着き、「ただいまー」と恐る恐る入っていった。「どこ行ってた?こんな遅くまで」と祖母の一声。「みんな夕飯終わったよ」とも。私は、食事も取らずにすぐに習字の練習の部屋に向かった。土曜の夜は習字の練習日であり、いつも小・中学生が10人ほど父に習いに来ており、私も一緒に練習していた。すると、「親父さん怒っていたぞ。すごかったぞ」と、誰かが脅す。「土手沿いに下渡山に行くって言ってたよ。と伝えておいたよ」と、弟。ますます『まずいぞ』と思いながらも、必死に墨をすっていると父が帰ってきた。「帰ったか?」の大きな父の声。ど・ど・ど、と大きな足音。部屋に入って来るなり、襟首をつかみ「習字なんかしなくていい。出ろ!」と外につまみ出された。とたんに「がーん」と一発飛んできた。とともに、私は土間まで飛ばされてしまった。家の修理に来ていた大工さんが間に入って「もういいから。わかったから、もうしないよ」と父を止めてくれた。その後のことは全く記憶にない。気が付いたら、部屋で寝かされていた。シーツは涙と鼻血でぐっしょりとなっていた。
 これほどの親父の剣幕は初めてであった(これが最初で最後であったような気がするが)。親父は、何時までも帰って来ないので、川で溺れていないかと心配して、山辺里川や三面川まで探しに行き、下渡山に向かっては、「オーイ、オーイ、マサー!!」と大声で呼んでいたとのこと。
 後日、「何故殴られたかわかるか?お前も父親になればその気持ちがわかるよ」と、母や祖母、そして近所のおばさんたちからも言われた。その度に返す言葉はなく、「うん」と頷くしかなかった。
 それから一週間後のある日、縁側で父の仕事を手伝っているとき、「ぶん殴られてから、もう一週間だね。痛かったなー」と言って横にいる父をちらっと見ると、『にやっ!』としたが、言葉は返って来なかった。
 今でも帰省したときに下渡山を見ると思い出す。遙か昔の苦い思い出。親父の一撃である。その親父も亡くなって2年。この一件は覚えていただろうか。聞きたかったものである。
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

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