http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2007年6月号

  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.72

村上市 肴町 水道川の鮭っ子の思い出
平原 三男
(ひらはら みつお)
村上小学校(昭和25年3月卒)
昭和51年1月 中央防水工業(株)設立
(建築及び土木工事に関する防水工事業)
東京都町田市在住






筆者
平成17年
昭和28年村上中学校卒業の同級会
   瀬波温泉 汐美荘にて





突然、村上市郷友会会長 赤見市郎会長より、リレー「鮭っ子物語」に随筆の依頼が有りまして、日頃から幼いときの思い出として記憶に有ります、春先生家近くの水道川での鮭っ子が登って来た時の思い出など一言。

私の本籍地は、村上市肴町で、生家は肴町でも北方面の河内神社境内の側に位置していた三叉路の角地で、北方面は瀬波街道の果て瀬波町、西方面は温泉街道の先、瀬波温泉、岩船町方面でした。父は新潟市、母は岩船郡神林村平林の出身です。
幼い頃からの四季折々の記憶の中で現在でも忘れられない鮭っ子に関する、楽しかった思い出が有ります。自宅から瀬波町方面70m程に水道川(瀬波温泉すずきが池が水源と記憶しています)が有り春先の4月上旬、野山の雪が溶け、桜の花が咲く前頃、ふ化して間もない鮭っ子が岸辺の枯草の下辺を列を作って登って来るのを、竹材で作ったミソコシ(丸くて奥行きが15cm程度)やザルを川の岸辺にそっと置き、何匹か入りますと、すくい揚げ、バケツに入れ、子供たちが競って数を数え、各自自慢しながら、そっと川に帰した、子供たちの春先の楽しみでした。
両親には、鮭っ子を捕獲し、食べてはいけない法律が有り絶対に家に持ちかえらないよう聴かされた記憶が有ります。
4月下旬から5月上旬葉桜の頃7〜8cmに成長した鮭っ子が、川を下って行くのを見守り鮭っ子の季節の終わりを感じて居ました。
その後上流に化学工場が出来、化学排水の為か、水道川に鮭っ子の姿は見られなく成りました。私も社会人になり、村上に帰省する度に懐かしい思いでの場所に行き(現在暗橋で川の存在は確認されません)当時の懐かしい思い出に耽って居ります。

現在村上市郷友会事務局長の市岡貞雄氏とは、お互い近所で同級生でもあり物心付いた幼い頃からの親友で、幼い頃は水道川又三面川で小鮒や、どじょう、なまず取り、小学校高学年、中学校と三面川でのゴロ掛け鮎釣り等沢山の思い出が有ります。その時の鮎釣り等の楽しさが忘れられなくて、現在も鮎釣り(市岡君は鮎釣りのみ)其の他(海での真鯛、ブリ釣り等)の釣りを楽しんで居ります。
毎年9月に恒例の(今年は9月1日土曜日の予定)村上市郷友会主催の三面川の鮎を食べる会が開催されておりますが、私も昨年初めて参加致しました。食する鮎を釣って来る役目が市岡君一人で、出席者全員の食べる鮎を釣って来るのに大変な努力をされているようでした。
今年は私も市岡君と二人で協力して、沢山の鮎を用意しますので、郷友会の皆様誘い合って一人でも多くの出席をお待ち致します。

村上を離れて55年、僅か15年間の村上に育った時の水道川でも雑魚取り、三面川での鮎釣り其の他お城山、下度山等の四季折々の景色、その後の年齢と共に数え切れない良い思い出が常に湧いて居ります。
63歳の時墓参を兼ねて帰省の時、実兄の近くに新築住宅の売家が有りまして、セカンドハウスとして購入しました。
その後年に4〜5回帰省し、墓参を兼ねて村上の四季折々を楽しんでおります。
今年5月21日で70才になります。現在会社を縮小し、健康維持の為、仕事はしていますが、今年年末で会社を廃業し、引退の予定です。
来年からは、残りの人生を村上と東京での半々位での生活で過ごす予定です。

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

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