2007年1月号 | ||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.67 |
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走馬灯は冬景色 | ||||||
「三之町出身の親父とお袋は、秋になると鮭が配られたと言っていた。」と語るのは、私の隣に座られたAさん。去る12月2日に東京新潟県人会で開かれた東京村上市郷友会「三面川の鮭を食べる会」でのことです。いわゆる武士の町本町の家々には、三面川で捕れる鮭に特典があったことがその言葉から良く分かりました。三面川の鮭は武家の師弟の育英資金となったことや、「鮭の子」の語源などは子どもの頃から聞いていました。鮭が大漁だった時には、大根1本と鮭1匹を交換したという話も、父が子どもだった頃の話として聞いたことがありました。町人に鮭が配られたのはそんな時だけだったのでしょうか。そしてついでに「鮭の百造りなどと言って頭の先から尻尾まですべて食べ尽くすのは貧乏人のやること」などと言ったのは、町人のやっかみでしょうか。今では、鮭の命を無駄なく頂戴する料理法を考え出した先人の知恵に、感服する次第です。 村上の町人も町人、佐藤伊助を総本家とする父佐藤竹南が平成18年4月に逝きました。享年90。生前「120歳まで生きる」が口癖でしたが、その記録には到底及ばず、最近の目標の99歳にも届かなかったことは本人が一番悔やんでいることと思います。 私が村上で過ごしたのは村上高校卒業までの18年間。この18年間の中に父との思い出がぎっしりと詰まっています。その中でも、幼い頃の「冬景色と書」には強烈なものがあります。 おめでとう(5歳) 5歳の正月のことです。父が書いた手本を見ながら初めて毛筆で半紙に書いた「おめでとう」の文字が、安良町の表具屋の壁に裏打ちされています。「め」が素晴らしいと言う表具師と父の会話に、私は泣き出しそうです。「め」は形がつかめず背中を丸めた猫のように見えて困っている私に、逆らうような大人の褒め言葉。マントを着た5歳の私はすっかり混乱しています。しかし今となれば、この「め」こそ傑作です。 鉄道療養所 吹雪の中、風に向かって歩く父の後を小走りについていく私。日本海のそば・瀬波温泉にある「鉄道療養所」へ書道の講師として行く父のお供をしている小学校低学年の私です。鉄道事故で肢体が不自由になった方々が温泉で療養を続けています。その方々の教養や娯楽・そしてリハビリにと書道講座があったもののようでした。不自由な体で熱心に黙々と筆を運んでおられるその姿が、妙に感動的で、ただただその感動のために吹雪の中を1時間以上父の後を歩いてお供をしました。冷え切った体を暖めてくれた温泉のイオウの香りとともに、今でもその光景が浮かんできます。 走馬灯には、墨をする手や筆を持つ手を火鉢にかざしている父と私の姿も浮かんでいます。 |
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