2006年9月号 | ||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.63 |
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お祭のおもいで | ||||||
この度、同級生の白幡キミ様より「リレー随筆、鮭っ子物語」にご紹介いただきお引き受けいたしましたが、文章の苦手な私にとっては、何を書いたらよいのか迷い考えさせられました。村上で生まれて十八年間育った私は、高校を卒業すると同時に上京して就職をした。 結婚を機に大阪に移りもう四十余年の月日が流れてしまった。住めば都と言うように今ではこの地にどっしりと根をおろし、すっかり関西人になっている気がする。 村上弁もほとんど使うこともなくなり、アクセントの変わった関西訛りの村上弁しかできません。でも村上の事は折にふれ風景や遊び、食べ物など思い懐かしんでいる。 子どものころ、お祭がくるのがとても楽しみだった。待ちに待った当日の早朝にふれ太鼓の音で目を覚まし、しばらくすると各町内のオシャギリ屋台がぞくぞくと集まってくる。神事を終えると笛や太鼓にお囃子と独特な節廻しの音頭やかけ声に合わせて、オシャギリを上下左右にゆさぶりながら練り歩き町中への繰り出して行く。 八月の七夕祭りの獅子舞も、笹とちょうちんで飾られた屋台を曳き、やさしく、時には荒々しく獅子頭を動かしながら、軽快でコミカルに舞う姿は子ども心に強く印象づけられている。 両親とも亡くなり、姉妹たちも村上を離れており帰る機会も少なくなった。 学校の帰り道で、いろいろな光景を目にした。竹ひごを一本一本組み合わせ器用な手つきでちょうちんを作ってゆく、又きれいな花緒をすげて下駄を仕上げてゆく下駄屋さん、漆を幾重にも重ね塗りして器に絵を描いてゆく堆朱の仕事など、店先のガラス戸越によく眺めていたことなど。今もあの店は、あの町並みはどんな風に変わっているのだろうか?。 半世紀が過ぎた今、ふる里に帰り昔の思い出に触れ、オシャギリ会館や、「町屋の人形さま巡り」などをゆっくりと時間をかけて散策し村上の文化や歴史に学び、そして村上ならではのおいしい鮭料理を味わってみたいと心から思っている。 村上の町の益々なる繁栄を願って。 |
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