2006年8月号 | ||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.62 |
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ふるさとの思い出と私の願い | ||||||
7月の大祭が終わり、梅雨も明けると村上は、私の好きな海、川のシーズンになる。思えば東京に住み45年の歳月が流れようとしているが、その間村上に帰る時期は夏・秋が多い。私の村上の住まいは片町で、お城山を眺め、背には門前川、山田川があり、川を下ると三面川に合流する。川の向こうには下渡山がある。 この季節を迎えると当然ながら鮎釣りがはじまる。村上にいた頃、自分で仕掛けを作り竿を手に、ビクを腰につけ川へよく行った、釣る方法はゴロカケである。暑い中、川に入り上流から下流へ移動する。小さい鮎は黒い石の上に置き、2、3時間すると干物になっている。河原が広いので鮎の置いたところを子供ながら山の景色と後ろの土手の位置を確認して、その側にススキの穂を立てて置いたものだった。 泳ぎは赤フンドシ一つで、門前川を下り、三面川と交差するまで泳ぎ、その足で海に向かって土手を歩いた。岩ケ崎まで行くには鉄橋を渡るのが一番早い方法だった。汽車が来るのを確かめるため、線路に耳をあて、音を聞き分け汽車の通るのを待ち、通過したあとすぐに鉄橋を渡り、トンネルを抜けると左手は海だった。この方法で一度こわい経験をしたことがあった。上りの列車が通り、音が小さくなったので渡り始めた。鉄橋を渡り終わる頃、後ろで汽笛が鳴った。振り向くと下りの列車がだんだん近づいてくるのがわかった。竿を捨てそのままトンネルの中を無我夢中で走り抜けた。そのとき機関車よりスコップで石炭を撒かれ、体がガタガタ震えしばらくそのまま地面にへばりつき動けなかった。 ある日、先輩より呼び出され「今夜は度胸試しだ。」と突然いわれた。我々子供達はパンツ一枚、万年ゾウリで集まった。門前川の向こうに黒い建物があり、その場所から石を二つ持ってくるように言われた。暗い中、川に入り、深さもわからず石を取りにいくのであったが、一人が帰ってきてから次の者が行く、怖さのあまり走りだす。するとその足音が響き、不気味な音となって伝わってくる。怖いからまた走る…。草むらの笹をゆする音。ひたすら走る…。黒い建物までたどり着かず、途中で石を拾ってくる者はやり直し。後でわかったことなのであるが、先輩達はどこかで見ていて事故のないよう見張りをしていたようであった。先輩は怖かった。でもやさしかった。ふるさと村上の懐かしい思い出である。 ところで私は20歳で村上を出てから現在まで一貫して手作りの靴づくりにとりくんできた。おかげさまで現在は東京・文京区本駒込にショールーム、工場を持っているが、思いはいつもふるさと村上のことである。村上の活性化に少しでもお役に立てればと思っている。 村上といえば、鮭、茶、堆朱、酒を思い起こすが、元気な自立都市として台頭していくためには、時代に即応した産業の確立が必要だ。私の夢は、村上を「人に優しい手作りの靴の町」にしたいということである。企画→木型作り→デザイン→紙型→皮を裁断してミシンをかけ、ぞれぞれの人にフィットした手作りの靴づくりのまちとして発展させたいと思っている。そのためには、技術者の養成が必要だ。村上市内にどこかにその場所を確保できないか。私の夢の実現を心から望んでいる。 |
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