2006年3月号 | ||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.58 |
||||||
故郷の風、空、川、山 そして人々 | ||||||
故郷、神林村今宿より、上京して、はや四十年の歳月が流れた。いつも、いつも、故郷の、川、山々、田、海は、我が心にあった。 苦境にたたされたとき、あの山川を、想うと、心身が癒され、新たな勇気が湧きいずるのを幾たび感じたことであろうか! すべてが、故郷の全てがありがたい。この感謝の念は、亦そこへ住むすべての人々への想いである。 ほぼ毎年、お盆の八月に帰郷する。お墓参りもあるが私の主たる目的は、釣りをする為である。小学生、中学生、高校生をとおして、慣れ親しんだ川で、ハゼ、フナを釣る。関川村を源に発し、有明、今宿を貫き、途中他の河川と合流して、明神橋(岩船町)を過ぎ、日本海に注ぐ、小さな川がある。その名称すら、いまだ私は知らない。 田には、やがて実りの時を迎える稲穂の海。空は、高く、青くそして青く晴れ渡っている。遠方に眼を遣れば、鷲が巣山、光兎山等々の山々。時々、単線列車が走り行く。私は五十年の歳月を超えて、童心に戻り、釣りに熱中する。平成7年8月17日、記録的大物を釣り上げた。鯰である。47pの大物。鯰が生息していること自体、深刻な汚染から守られている証拠ではないか。私はカメラウーマンを、大声で呼び、共にきねんのカメラにおさまった。カメラウーマンとは、我がかみさんで当日は、二人息子との一家オールスターキャスト総出の釣りであった。なんと、長男も25p級を二匹釣り上げた。十二代続く百姓屋の実家で食するのは、赤飯、鮭、茄子漬。これほど、美味しいものは、世界どこでも、お目にかかれなかった。鮭は、切り身を約半年、自然乾燥したものが最高。日本海からの風が時間をかけて、風味豊かな、一品に仕上げてくれる。茄子は採れたての小茄子を一夜漬けにしたものが丼に山ともられている。 二十二年間の会社勤務のあと、平成二年に株式会社ウインを起業した。医療機器、測量機器等に使う光学レンズを設計、製造、販売(輸出中心)する仕事である。北米、欧州、アジアに顧客を有し、毎年3・4回世界を飛び回っている。ニューヨーク州にある産業の町、ロチェスター市のある顧客との出会いが我が社を、大きく発展させてくれた。この市には、イーストマンコダック社、ボッシュロム社、アイビーエム社等々、錚々たる世界的企業が軒を並べている。きっかけを開いてくれた、その顧客のゼネラルマネージャーに深い感謝の想いがあった。平成十年八月、彼と奥さん、息子、娘さん、一家四人を十日間、日本に招待した。初めての日本訪問。富士山、築地市場、銀座、皇居、歌舞伎等々、彼らの希望する色々なところへ案内した。私の提案で案内したところが、一件だけ、あった。我が故郷、村上、神林村である。 実家では、長兄が緊張しながらも、歓迎の挨拶をした。何しろ、外国人をむかえるのは、十二代の百姓家の歴史で初めてのことであった。四人を田んぼに案内し、日本の稲作を説明した。鯰を釣った、我が川も紹介した。村上市内にある“おしゃぎり会館”に案内して、お祭り、を説明、城下町としての歴史を話した。瀬波温泉に宿をとり、日本海に沈む夕日に共に、感嘆のこえをあげながら、デナーを楽しんだ。 わたくしを育ててくれた、我が故郷の、風を身にうけ、空、田んぼ、山、川をみ、食を、彼とその一家に感じて欲しかったのである。昨年の暮れのクリスマスカードで、彼は、こうふれていた。「あなたの故郷を訪ねたことを、自分たちの人生のハイライトの一つとして、時々思い出す」と。 |
|
|||||
|
|
|||||
|