2006年12月号 | ||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.66 |
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故郷は背中を押してくれた | ||||||
お袋の実家が村上市だったこともあり、村上高校へ入学。3年間の下宿生活をおくった。 格好良さに憧れて剣道部へ入り、初めて竹刀を握り、夏休み合宿、寒稽古、田辺先生の母校、日体での合宿など、今でも、いい思い出がつくれました。 9月頃になると、金木犀のいい香りが市内にただよっていました。今、東京で金木犀の香りがしてくると必ず、お城山と共に、「豊栄昇る」と校歌を思い出します。 高校卒業後、2年間、電気専門学校に行き、電機メーに就職し、転勤で、東京、広島、札幌と勤務し、現在は東京ですが、いつの時も努めて故郷には帰るようにしました。 2人の子供は広島で生まれましたが、小さいうちに出来るだけ故郷の山、川、海で遊ばせ思い出を残そうと、夏休みの、1ヶ月間位は、故郷の山北町に帰らせていました。 島根県の松江なまりが、村上弁にあまりにもそっくりで驚いたり、広島を離れる時、取引先の社長から、10年居たけど、あんたの訛りは変らなかった。故郷を大事にしているんだね。と言われたことがあります。 村上に関することでこんな事もありました。 あるゴルフの会合で、お会いした部品メーカーの方が、私が村上高校卒業であることを知り、門前仲町の粋な飲み屋に誘ってくれ、その席には、わざわざ、ご自分の友達で、村校卒の大洋盛蔵元の3男坊の方を呼んであり、村上の方はみんなよい人だ。だから貴方をここに誘ったんだと言われ恐縮しました。 同席された方は私の10年先輩で、部活動の話で、柔道部の斉藤先生、私は剣道部で田辺先生の共通の話ができ、盛り上がりました。 また偶然にも、東京上野の、新潟県会館ビルの向かいの、デノンビルの3Fに勤務でしたから、県人会ビル地下の「朱鷺」では、村上の郷土料理のメニューも多く、友達を誘ったりして、よく食べ、飲みました。 身近にいつも故郷を感じることが出来ました。 東京に戻った今では、毎年5月に、山北町に帰り山遊びをして、村上の吉川で鮭のお土産と、酒屋で村上の地酒を買って関越自動車道で東京へ帰ります。 私の子供の時代になったら故郷との関わりがどうなるのかと、考えるこの頃ですが、私には、故郷は私の背中を今までも、これからも、暖かく、押してくれるところです。 故郷を離れて40年、故郷との関わる機会は以前より多くなりました。 いろいろ、苦しい事があった時、不思議と故郷の山、川、思い出が浮かび、踏ん張れた気がします。 私にとって、生まれた山北町、青春時代を過ごした村上、最近特に、身近に感じるこの頃です |
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